美人のすべてリターンズ
福田美術館|京都府
開催期間: ~
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我がせこが来べき宵なり、ささがにの…
コロナ禍で延期されていた特別展「美人のすべてリターンズ」を鑑賞することができました。今回のお目当ては、上村松園と並び称された美人画家、池田蕉園の屏風絵「もの詣で」です。去年の宿泊した信州の老舗ホテルにある屏風絵が、蕉園のものではないかと疑い、自分なりに調べています。経営するクリニックの待ち合いに蕉園の模写を飾っていますが、現存する作品数の少ない彼女の真作にお目にかかる機会はそうそうはありません。伝統的で一分の隙もない松園にくらべ、 柔らかく優しい蕉園の美人画は、現代的で好感が持てます。夢二に影響を与えたと言われる朦朧とした目元、油絵を見るような背景の鳩の表現、浮世絵の伝統を踏まえた構図など、さすがに本物の持つ筆力は違いました。作品に描かれた物思いにふける夢見るような女性達は、どこかシュールレアリズムのような幻想性を感じさせるのです。この屏風絵を描いた時期の彼女は、婚約者の輝方が失踪し、精神的にはとても不安定な時期にありました。周囲の励ましもあり、製作に打ち込む事で傷心を紛らしていた若き蕉園。しかし、初恋の輝方への思いは断ちがたく、絵の中に蜘蛛の巣とささがにというかな文字を書き入れています。表題にある「我がせこが来べき宵なり、ささがにの…」は、日本書紀の允恭紀にある衣通郎姫(そとおりのいらつめ)の歌。
我が夫子(せこ)が 来べき夕(よい)なり ささがねの 蜘蛛の行ひ 是夕(こよい)著(しる)しも
今夜はきっとあの人が来てくれるにちがいない、笹の根もとで蜘蛛が巣を張っているからそれがわかるの──という句をふまえています。(中国には、蜘蛛が人の衣に着くと客が訪れるという俗信があります。)行方しれずのフィアンセを想う一途な乙女心は、深い女の情念に昇華して作品の中に息づいているのです。
兵庫県 レディースクリニック院長 MK