与謝蕪村「ぎこちない」を芸術にした画家
府中市美術館|東京都
開催期間: ~
- VIEW1107
- THANKS1
どうにでもなぁれ、の豊穣
「ぎこちなさ」をテーマにした与謝蕪村の展覧会です。
文人画には「つたなさ(古拙)」が求められると良く言われます。これは完全に推測ですけど、特に蕪村において、彼がどのように「つたなさ」を目指したのかを説明するワードとして「ぎこちなさ」が選ばれたのかな、と思いました。ところが本展の準備を進めるなかで、蕪村を「ぎこちない」と表現するなんてケシカラン!という方もいらっしゃったらしく。ご講演で、学芸員の金子信久さん、すこし残念な様子をされていました。
じゃあ、与謝蕪村の絵のコンセプトを表すのに、ケシカランと言われないようなワードって何かないもんかなぁと、いろいろと考えてみたのですが・・・個人的に考えた中では【どうにでもなぁれ】がいいなんじゃないかと。いやふざけてないです。いたってマジメです。
説明が致命的にヘタなので、ちょっと話がながくなるのですけど――
いろんな展覧会に行って絵のキャプションを読んでると、「これはデッサンだけど、すでに作品として完成している」とか「作者はこの下絵の出来が良すぎて本画を描くのをあきらめた」などと書いてあるのを見かけたことないでしょうか。あるいは、これは習作です、下絵ですと説明されているけれど、えーコレ完成品でも良くね?と思ったこととかないですか? もっと卑近なところでは、マンガとかイラストなどでも、完成絵よりラフ絵のほうがなんか躍動感を感じていいな、と感じたりとか。
なんでそういう現象が起きるか考えてみたことがあるんですが、未完成の絵にはまだ「どのようにでもなりうる」可能性が残っているからだと思うんですよね。絵を見る人はその開けた可能性のなかに、完成された理想の絵を見てしまうのです。そして、画家によって現に完成された本画は、必ずその期待された理想に劣ってしまう運命にある。
話を戻すと、蕪村はそのような見る者にとって可能性の開けた絵、「どのようにでもなりうる」絵にチャレンジし続けたのではないか、しかも下絵より習作よりラフ絵より、さらにずっと可能性の開けた自由な絵を追求したのではないか――そう思うのです。
で、これを正確に表現すると【どのようにでもなりうるように、なぁれ】なんですけど、そう言うと長ったらしいし、しかもどこか作為的に感じられてしまいます。そこで思いきって切り詰めて【どうにでもなぁれ】というわけです。これだと「描いている私ですらもどうなるかわからん」というニュアンスも含まれて、いい感じになるのではないかと。
ところで『禅マインド、ビギナーズマインド』という本をご存知でしょうか。鈴木俊隆という禅僧が、英語圏の読者に向けて禅の思想を伝えた本です。スティーブ・ジョブズにも少なからぬ影響をあたえたらしい。ただですね、「ビギナーズマインド」てのは「初心」のことで、実はなんのことはない、「初心忘るべからず」について語ってるだけなんです。
しかしアメリカではこれが大きな衝撃をもって迎えられました。なぜなら彼らは、エキスパートとして完成することを誇りとし、エキスパートな人をとことん尊重する文化のなかにいるからです。鈴木俊隆は同書のなかで、彼らのその価値観ををひっくりかえしてしまいました。いわく、エキスパートに安住してしまってはいけない、それではもう可能性が開けなくなってしまう!可能性を開き続けるには常にビギナーズマインドであれ! そのように、ビギナーであり続けることの価値と重要性を説いたのです。
また蕪村の話に戻ると、【どうにでもなぁれ】な絵ってエキスパートになって初めて描けるようになるんだと思うんですよね。なぜなら私たちは、鍛錬された流麗な筆あとのなかにこそ、作品が開きうる可能性を見るからです。しかし逆説的に、エキスパートの技で完成され固定化されてしまった線や画面からは、可能性が失われてしまう。【どうにでもなぁれ】を追求することは、この逆説に打ち勝たねばならない茨の道です。
師を持たず自ら裸一貫で多くの画風を修め、絶え間なく可能性を開き続けた蕪村。彼は自らのなかのビギナーとエキスパートの間で揺れながら、その相克と葛藤のなかで、生涯【どうにでもなぁれ】の豊穣を追い求めたのではなかったかと思うのです。
追記
ここまで書いて気づいたのですが、金子信久さんもまたビギナーズマインドなエキスパートだと思います。世の研究者があまり注目しない、それにつられて私たちもあんまり気にかけていないような作品をあちらこちらからひっぱり出してきては、まっさらな目線で「ほらこの絵、この作者、よく見るとこんなにすごいんですよ、面白いんですよ」と語り続けられています。「春の江戸絵画まつり」を訪れるたびに、フラットで新鮮な視点にもどしてくださり、感謝いたしております。これからも陰ながら応援させてください。