コイズミアヤ展、obi gallery、藤沢
コイズミアヤ展、obi gallery、藤沢。コイズミさんに作品の話を聞いておもしろかった。長居して、閉まる時間になったので、一緒にバスに乗る。https://obi-gallery.com/aya_coizumi_2/https://www.facebook.com/matsuyama.ken.35/posts/pfbid02dKnpwvzuug7iAS…
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- by 松山賢
油絵具をペインティングナイフで何層か厚く重ねて、粘土ベラで文様を彫っていく
油彩画制作中。ペインティングナイフで何層か厚く重ねて、粘土ベラで文様を彫っていく。来年2月の個展で展示予定。2026年2月9日(月)ー14日(土)ギャラリーSIACCA東京都中央区銀座2-9-16 サウンドバレービル地下一階 …
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- by 松山賢
ブルガリ展、時代のプリズム展、国立新美術館。フィリップ・ワイズベッカー。六本木のギャラリー
11月20日に見に行った展覧会フィリップ・ワイズベッカー、ギャラリーclaska。限定日記作品集を買う。ブルガリ、国立新美術館。三原色、二次色など色彩に基づく展示構成だった。ララ・ファヴァレット洗車ブラシ作品が、こっちに速い勢いで来るようで、向こうに…
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- by 松山賢
美術手帖2025年7月号特集岡﨑乾二郎より
「「世界は終わった、造形は終わった、美術は終わった」みたいな言説が当たり前のように語られてきたけれども、終わったなんていうのは全部嘘、議論のための都合にすぎない、と言いたくて、そうした議論が振り落としてきた作品について文章を書いてきました。…
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- by 松山賢
芸術としての”彫刻”を日本に確立しようとた高村光太郎が、どう見ても”置物”としか言いようのない兎や鯰の彫刻を作った
「明治以前の日本には、”絵画”と同様に”彫刻”という考え方がなかった。今日のような彫刻の概念が生まれたのは明治9年(1876)、工部美術学校創設以後のことである。それを機に西洋彫刻が、芸術作品としての”彫刻”と呼ばれ、伝統的ないわゆる床の間の置物は「彫…
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- by 松山賢
「絵の具の絵」
韓国のアートフェアに出品するために、「絵の具の絵」を倉庫から引っ張り出してきて、状態を確認する。日本画の絵具皿に、油絵具を出したものを原寸大に写真のように写実に描き、周りはその油絵具塗った単色ミニマル抽象画。…
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- by 松山賢
~注口土器~、さいたま市立浦和博物館。真福寺貝塚、さいたま市立博物館。伊山桂、下北沢アーツ。
11月15日に見に行ったところ注目!縄文時代 ~注口土器~、さいたま市立浦和博物館。埼玉県立近代美術館に行くついでに行ったのだが、別の縄文展示のチラシを見つけたので、そちらへ行く。真福寺貝塚、さいたま市立博物館。こんなときでもないと行かないだろ…
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- by 松山賢
芸術新潮1983年7月号特集「東西有名贋作展」より
「国立西洋美術館のドラン、デュフィ購入事件が報じられたのは、1966年2月。」「20年近い歳月のなかで、贋作購入事件は、ひたすら風化していき、ドランとデュフィの作品は、同美術館収蔵庫の中で空調の音を聞きながら眠り続けている。が、この事件を風化され…
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- by 松山賢
横浜駅から自転車で帰りの、通りがかりのアートスペースイワブチで、折紙細工 平野研という看板が
横浜駅から自転車で帰りの、通りがかりのアートスペースイワブチで、折紙細工、という看板が見えた。平野研作品を買った。退職して作りはじめたという。どれにしようかとぐるぐる回っていると、あとからテーブルにあるカニ缶にも作品があると画廊主がいう。冗…
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- by 松山賢
芸術新潮1991年7月号「日本画よ、何処へ 大正日本画の逆襲」特集より
「田中日佐夫 変に余白ばかり生かした、ああいう日本画というのは何も日本画の伝統としてあったわけではないし、昭和になって出てくるものです。徳岡神泉や池田遙邨だって、皆余白ばかりで、余白の中に何か気のきいた枝ぶりがあったりするような絵ばかりにな…
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