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画家たちの交流が手に取るようにわかります
関連する画家の作品の陳列だけでなく、お互いをモチーフとして作り上げられた作品もあり、楽しく見れました。
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1887(明治20)年に茨城県水戸市で生まれた中村彝は、11歳の時に母親を亡くし、一家で東京に移り住みます。軍人を志し、名古屋、東京の陸軍学校に通いますが、胸部疾患にかかっていたことから、その夢はかないませんでした。療養中にデッサンや水彩画を描いて過ごした彝は、1906年白馬会研究所に入門、中原悌二郎や鶴田吾郎と知り合います。その後、彼等は太平洋画会研究所に移っています。
彝は中村屋にとって重要な画家のひとりです。中村屋の裏のアトリエに住んでいたのは1911年の冬から15年の春までの約3年間で、その時期は、中村屋の創業者、相馬愛蔵・黒光の長女俊子をモデルにした作品を多く描きました。中村屋を出てからは、下落合にアトリエを構え、体調を崩しながらも仲間に支えられ、制作活動を続けます。
本展では、荻原守衛亡き後の中村屋サロンの中心人物である中村彝の生誕130年を記念して、彝と彝の37年という短い生涯の中、友情で結ばれた芸術家たちの作品を紹介いたします。
会期 |
2017年3月18日(土)~2017年6月4日(日)
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会場 | 中村屋サロン美術館 Google Map |
住所 | 東京都新宿区新宿3丁目26番13号 新宿中村屋ビル3階 |
時間 |
10:30~18:00
(最終入場時間 17:40)
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休館日 |
火曜日 |
観覧料 | 大人 300円
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TEL | 03-5362-7508 |
URL | http://www.nakamuraya.co.jp/museum/ |
4.0
関連する画家の作品の陳列だけでなく、お互いをモチーフとして作り上げられた作品もあり、楽しく見れました。
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中村彝は、1907年に、白馬会から、太平洋洋画研究所に移った事が、一つの転機になったようだ。
当時20歳、しかし、もう、胸部疾患を発病していた。
展示図録に作品解説が載ってないので、会場でメモを取るしかないが、野田半三、鶴田吾郎、曽宮一念など、早稲田中学出身が仲間に多い。ここいら辺の時代背景を知りたいと思う。
鈴木良三という画家は、彝と同郷、茨城県水戸市の出身。
個人的には、宮芳平の絶筆「黒い太陽」が一番印象に残りましたが、少ない展示ながら、勉強になる展覧会でした。
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