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「アートとテキスタイル」@愛知県美術館

竹村京『There and Now, kimi shini tamou koto nakare 2』(部分)

「布」をめぐるアート

愛知県美術館のコレクション展示室で、「アートとテキスタイル」と題して「テキスタイル・デザイン」「模様」「染色・刺繍」「衣服」をテーマにした展示を行っていました(会期は公開されておらず不明)。

自分が来館したときは学芸員さんによる展示解説も行われていて、「布」にまつわる現代アートを「空間主義」「アルテ・ポーヴェラ」「ソフト・スカルプチュア」「フェミニズム・アート」の文脈で語られていました。それらのムーブメントでは共通して、既存のアートへのアンチテーゼとして布や糸などの「やわらかい素材」が作品に用いられてきた――という観点に基づいて、一貫したアートの流れの解説を試みられており大変興味深かったです。

特に近年、フェミニズムアートの文脈で、従来「女性の家庭における手仕事」として、ファイン・アートではないと見なされてきた染色・刺繍・裁縫・縫製など技術を作品に織り込む試みが続いていることについて、重点的に解説されていました。


以下は解説に対してちょっと引っかかった部分についてのメモ。


民藝運動について

解説講演では「布と装飾」アートの先駆者としてのマティスとの比較をされていて、その先進性について触れつつも、一方で彼の観点はフェミニズムアートにおける「手仕事」性の観点とは異なることを論じられていた。欧米のアート史では重要な論点なのだろうと思う。

一方で、日本のフェミニズム・アートの文脈では、「民藝運動」との関わりや相違を論じる必要があるように感じた。かつて民藝が「家庭の手仕事」に着目してファイン・アートに挑戦した文脈は、フェミニズムアートのそれと非常に相似的だと思う。先日、東京ステーションギャラリーで回顧展が開催された宮脇綾子氏にも触れられていたが、彼女の作風も民藝の文脈上にあると思われる。フェミニズム・アートの代表格のひとりとして挙げられた女性作家が、柳宗悦をはじめとした男性がレールを敷いた「民藝」に影響を受けていること、一方でその流れがフェミニズム・アートの隆盛に先立って海外にルーシー・リーという女性陶芸家(手仕事の作家)を生んだことなど、論じるべき点は多いと思う。


小芸術と大芸術

女性による「家庭の手仕事」は「小芸術」としてファイン・アート(「大芸術」)のアカデミアやマーケットからは等閑視されてきた、と解説されていたが、そもそも「大芸術」にならなければならないのだろうか? 「手仕事」は現代アートの言語と論理で飾り立てられ称揚される必要はあるのだろうか?


権威を目指した民藝理論に似て

これは個人的な気分にすぎないのだが、柳宗悦がその独自の審美眼で選んだ「民藝」の作品群は好きだが、彼の「民藝理論」は非常に鼻持ちならないと思っている。浄土信仰の思想を曲解・援用して民藝を「権威化」しようとしたその姿勢が気にくわない。権威を振りかざす「大芸術」から遠く離れて、というか、そんなものは完全に意識の外にあるような卑近な生活のそばにあってこその「用の美」ではなかったのだろうか。

だから、これと同様に、フェミニズムの讃える「家庭の手仕事」は果してアート・アカデミアやアート・マーケットの世界で成り上がる必要などあるのだろうか、と疑問に思ってしまう。むしろその独りよがりで傲慢な美の価値の外に留まって、それを無力化する世界を目指すべきなのではないだろうか?


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