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『生誕300年記念 池大雅―陽光の山水 』@出光美術館 レポート

レポート書いたけど、出光美術館はこちらのサイトには参加されてないみたい・・・。

せっかく書いたのでこちらに投稿しておきます。

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■文人画はバロック

洋の東西を問わず、美術は色調も構成もシンプルで理知的な構成のさっぱりした作風が好まれる時代と、画面を埋め尽くすほどに装飾過剰でゴテゴテケバケバした作風が好まれる時代が交互に訪れる、という話がよく聞かれます。ゴシック→ルネサンス→バロックみたいに。


そんな単純化していいもんかとも思ったりはしますけど、もし ”江戸の文人画はなんかつまんないな、いまいちノレないなー・・・”というかたがいらっしゃれば、”これは「バロック」だ!”と思って鑑賞すると、見方が変わって面白く感じられるかもしれないです。


これはちょっとうまく説明できないのですけど、『楼閣山水図屏風』(展示は2月25日まで)をご覧いただくとなんとなく共感いただけるんではないかなと思っています。ほかの作品は『楼閣山水図屏風』ほどバロックではないのですけど、それらの「ちょいバロック」の集大成が『楼閣山水図屏風』だと思って見ると楽しいのではないかと思います。


■「気」について

文人山水を見ていると、むくむくと膨らんだような奇怪な山や岩の表現が気になります。特に池大雅の場合はそれが顕著に思えます。これは何故なんだろうと前から疑問でした。


古人はあらゆる存在物について「形」あるものには「神」が宿り、それらは陰陽の交代という運動を繰り返す「気」によって成り立っていると考えました。物質も精神もともに「気」から成ると考えていて、それは単に「気」の現れ方の違いと解釈します(許永晝『読画稿』より)。文人山水においてそれがどのように描かれるかというと、最もわかりやすいところでは山霞とし表されます。


今回あらためて大雅の描く風景を見て思ったのは、山や岩もまた満ちる気、沸き立つ霧や霞や雲が「化石化」したように描いてるのではないかということでした。あるいはアレを「塊」として見てしまうことが間違いで、山や岩が不定形にぐにゃぐにゃとのたうち回ったり、もりもりむくむくと膨れあがっていく「過程」を表現していると見たほうがよいのかもしれないです。


繰り返しになりますけど、文人山水ではその画面に表されたすべては流転する「気」として描かれていて、見る者はそれを自分の心身のうちの「気」とおなじものとして、あるいは映し鏡として捉えないといけないわけですが、上のような見方をするとそういう気分に導かれやすくなるのではないかと思いました。


■ 大雅の屏風絵はジオラマ

今回改めて池大雅の屏風やおおきな掛幅をまとめて見て感じたことは、まるでジオラマや箱庭をのぞいているみたいだ、ということでした。南画ではありがちなことですけど、大雅の山水でも描かれている要素があまりに多すぎてパッと見た感じではゴチャッとした印象をうける作品もあります。ですが、よく見ると個々の木々や岩や建築物などなどのオブジェクトは、色彩や濃淡のメリハリによって、かなり明確に区別できるように工夫して描かれています。作品に寄ってそれらオブジェクトをつぶさに見る感覚は、箱庭を覗いてひとつひとつのミニチュアが丁寧に植えられて、所狭しとならんでいる様子に感心する心持ちに近いものがあります。


一方で引いて遠くから見てみると、それだけゴチャッとしてるのにもかかわらず、驚くほどに奥行きを感じられます。空気遠近法も線遠近法も使用していないにも関わらずです。これはアニメーションやゲームの風景CGでいうところの「レイヤー」が意識されているからです(レイヤーについては「風景 イラスト レイヤー」で検索すると分かりやすい解説が見つかるかと思います)。


このレイヤーによるパースペクティブの表現は、水墨山水では三遠・六遠とよばれる基本的な技法で、この時代の発明でも、文人画での新しい技法でも、まして大雅がつくりだしたものでもないです。ですが、たとえば『箕山瀑布図』に顕著なのですけど、あれだけ画面全体にオブジェクトを詰め込みながら奥行きがはっきり見て取れるのは、このレイヤーの立て付けと、レイヤー間の空間の「つなぎ」の技術が卓越しているからです。


今回多く展示されている西湖図や赤壁図では、基本的には過去に狩野派などによって描かれた同主題の絵画の空間技法を踏襲してますけど、凄いのはその古画の研究と技術の摂取に留まるものではないです。風景の中で「特にオブジェクトを詰め詰めにしてゴチャッとしてる部分」をよく見て見ると、先述のような「メリハリによる個々のオブジェクトの区別」と「レイヤーによる前後の空間の区別」を組み合わせて、非常に巧みに表現されているところが見て取れると思います。


これらによって、「遠くから見て、ひろびろとして気持ちいいパースペクティブ」と「近寄ってみて、ちっちゃなミニチュアを愛でる愉しさ」を両立した、箱庭やジオラマのような作品が実現されていると思うのです。



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