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原爆の図丸木美術館は、画家の丸木位里・丸木俊夫妻が、共同制作《原爆の図》を、誰でもいつでもここにさえ来れば見ることができるようにという思いを込めて建てた美術館である。
丸木夫妻は、原子爆弾が投下された直後の広島にいち早くかけつけ、戦後の米軍占領下、原爆被害の報道が厳しい検閲を受けていた時期に《原爆の図》連作を描きはじめた。そして日本全国を巡回し、公民館や寺院、学校の体育館などで展覧会を開催。被爆の実情を広く伝えている。その後も、戦争や公害など、人間が人間を傷つけ破壊することの愚かさを生涯かけて描き続けている。
埼玉県東松山市の比企丘陵の緑豊かな自然が広がり、近くには都幾川がゆったりと流れる場所に建つ丸木美術館では、丸木夫妻の生命への思いを受け継ぎながら、芸術家としての二人の活動を紹介している。
◆丸木位里 (まるきいり 1901–1995)
丸木位里は、1901年6月20日に広島の太田川上流の船宿兼農家に生まれた。戦前には前衛的な美術団体である歴程美術協会や美術文化協会に加わり、抽象やシュルレアリスム(超現実主義)を取り入れた独自の水墨画を発表して高い評価を受けた。1941年に油彩画家の赤松俊子と結婚。1945年に広島に原爆が落とされた時には、数日後にかけつけ、その様子を目撃した。やがて夫婦共同制作で《原爆の図》の制作に取り組み、30年以上の歳月をかけて15部の連作を完成。その一方で風景を中心としたスケールの大きな水墨画を数多く残している。1995年10月19日永眠、享年94歳。
◆丸木俊 (まるきとし 1912–2000)
丸木俊(赤松俊子)は、1912年2月11日に北海道秩父別の善性寺に生まれた。女子美術専門学校(現・女子美術大学)で油絵を学び、その後、モスクワ、ミクロネシアに滞在。 油絵やスケッチを多数描き、二科展に入選した。1941年に水墨画家の丸木位里と結婚。戦後は《原爆の図》をはじめ《南京大虐殺の図》、《アウシュビッツの図》、《水俣の図》、《沖縄戦の図》など 社会的主題の夫婦共同制作を発表している。また、すぐれた絵本作家としても知られ、『ひろしまのピカ』、『つつじのむすめ』などの絵本は今も多くの人に読み継がれている。2000年1月13日永眠、享年87歳。
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