芸術としての”彫刻”を日本に確立しようとた高村光太郎が、どう見ても”置物”としか言いようのない兎や鯰の彫刻を作った

「明治以前の日本には、”絵画”と同様に”彫刻”という考え方がなかった。今日のような彫刻の概念が生まれたのは明治9年(1876)、工部美術学校創設以後のことである。それを機に西洋彫刻が、芸術作品としての”彫刻”と呼ばれ、伝統的ないわゆる床の間の置物は「彫刻に非ず」としてやがて見捨て去られていった。しかし、それでは本当に”置物”的なるものは姿を消してしまったのだろうか?芸術としての”彫刻”を日本に確立しようとた高村光太郎が、どう見ても”置物”としか言いようのない兎や鯰の彫刻を作ったのは一体どういうことなのか?忘れ去られてしまった日本の伝統的な”置物”の世界は、実は今なお、彫刻の影の部分で脈々と息づいているのだ。」
芸術新潮1990年10月号特集「美術事始め」より