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「感性は感動しない」椹木野衣 感想

おそらく大学時代の塾バイトで、高校生の生徒に国語を教えていたとき、教材の中でこの素敵な本に出会ったのだと思う。やっと読めた。まずタイトル。めちゃくちゃ惹かれる。タイトルからここまで色々なことを想像できるってそんなにない。感性って感動しないの?では感動しているのは理性か、知性か?理性とか知性で感動するってもはや感情を制御してない?それって感動なの?あ、でも知識によって何かが枠にはまると感動するな…etc


タイトルからはなんだか難しそうな美術評論を想像してしまうが、中身はとても読みやすいエッセイ。

著者は美術評論家で、特に会田誠や村上隆なんかの「現代美術家」と呼ばれるような人々を批評してきたらしい。会田誠とか村上隆とか言われると、どんな極論が飛び出てくるのかと勝手に構えてしまいますが、著者椹木さんの文章はとても穏やかで、低刺激。するすると入ってくる。


内容はエッセイ集という感じで、①絵の味方・味わい方、②本の読み方・批評の書き方、③批評の根となる記憶と生活、の三本立て。本の1番最初の部分に、冒頭で説明した、教科書などでよく使われる「感性は感動しない」の分がそのまま挿入される。

個人的には「感性は感動しない」と①の「かたまりとしての思考」がとっても好きだったので、そこだけご説明。


著者によると、「感性とはあなたがあなたであること以外に根拠を置きようのないなにものか」らしい。だからどんなに本を読んで勉強したって自分の感性はぐんぐん成長することはないし、批評家の方々のようにピカソの絵の良さをぺらぺら話せるようになるわけでもない。

これはちょっと突き放されたような気持にもなる物言いだが、実際、私たちの持っている感性はだれかと比べて優劣があるとか、進化論的に進んでいくわけでもない、ということ。それってすごく救いな気がする。私は坂本龍一の感性を目指して修行する必要なんてない。


ではどうすればいいのか、というと、わからないものを見たときに、すぐに何かわかりやすい基準「美しい」「かわいい」そういうものにあてはめないで、ただ何となく頭の中にふわふわと漂う「かたまり」の状態の思考を「かたまり」のまま咀嚼してみること。「かたまり」を言語化して理路整然と並べる過程ではじかれる部分もそのままに見つめてみること。

確かに絵や彫刻なんてのは、言語化できないものを表現しているものだと思う。そもそも言語化できないものの表現なのに、それを見て「これは~を表しています」なんてペラペラしゃべるなら、じゃあ元から解説文だけでいいやん、ってことになる。

美術館で絵を見た後、なんとなくいろいろなイメージが頭の中に浮かんでいるがうまくまとまらない、それらをなんとか一本の線にして文字化していく必要がある。私が今ここに文を書いているのもその過程だ。ひとに「かたまり」を伝えるのって難しい。焦らずに、時間をかけてほかの知識なんかもスパイスに加えて、少しずつ自分の中で「かたまり」に実態を加えていくってことなのかな。これは修業しないとうまくならない気がする、と思って大学1年生の時からひたすら読書と映画鑑賞の感想を文字化しまくって、FilmarksとかBookmeterに投稿してきた。これなかなか上手くならなくてもどかしい。


感性は磨けないけど、「かたまり」に裏付けを与えて自分の中の実にしていくのには修行が必要みたいです。


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