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世田谷美術館「出版120周年 ピーターラビット™展」100年前の英国で 生きとし生けるものたちを伸びやかに描き 愛した女性

「出版120周年 ピーターラビット™展」展示風景より ※許可を得て撮影

手のひらサイズほどの本の表紙には、青色のジャケットをまとって歩くウサギ。愛らしい後ろ姿が目をひく『ピーターラビットのおはなし』は、世界各国で読み継がれてきた名作だ。ページをめくれば、自然豊かな風景と生きものの日常が広がる。


日本初公開の原画も多数の「出版120周年 ピーターラビット™展」は、年齢問わず、作品のあらすじを知らなくとも楽しめる内容と言えるだろう。作品の魅力は言わずもがな、自然や生きものをこよなく愛した、英国の作家ビアトリクス・ポター™(1866-1943)の人生へも、丁寧にスポットがあてられ、多様な楽しみ方ができるからだ。


本展はタイトルの通り、ピーターラビットシリーズの最初の絵本『ピーターラビットのおはなし』が、1902年に初出版されてから120周年を記念して企画されたもの。世界中で愛されている作品は現在、48もの言語で読み継がれ、全23巻のシリーズは累計発行部数 2億5,000万部を超える。

これまでも国内では度々、ピーターラビットシリーズにまつわる展覧会が開催されてきたが、貴重な資料の数々約170点が展示された本展は、メモリアルイヤーのお祝いにふさわしい内容だ。と同時に、ビアトリクスの類まれなる画力と愛情に満ちたまなざしにも、改めて注目が集まるだろう。


「出版120周年 ピーターラビット™展」展示風景より ※許可を得て撮影

ビアトリクスは、1866年にロンドンの裕福な家庭に生まれ、幼い頃から絵を描く才能を発揮し、特に小動物を好んで描いていたという。菌類学者になることを夢見てもいたが、19世紀末のイギリスは、女性が学問の世界で活躍するのは難しい時代だった。


そんなビアトリクスが、挿絵画家の仕事に就くきっかけとなったのは、ベンジャミン・バウンサー、そしてピーター・パイパーと名付けた、ペットのウサギとの暮らしだ。立ち上がったり寝ころんだり、さまざまなポーズの彼らをスケッチや水彩画として描き、グリーティングカードのデザインとして制作し、出版社へ売り込んだのだ。

いわば、ピーターラビットが生まれる前の彼女の歩みが、本展の1章前半でたっぷり鑑賞できる。実は筆者は、10年以上ペットのウサギと暮らした経験がある。繊細な筆致と色づかいが素晴らしい作品群を眺めていると、ウサギの何気ないしぐさや、動きで意思表示をする様子が、本当にありありとイメージできた。ウサギの愛らしさや、共に暮らす魅力について、ビアトリクスといつまでも語り合えるのでは。そんな親近感を覚えずにはいられなかった。


ノエル・ムーア宛ての絵手紙 ビアトリクス・ポター 1893年9月4日付 ビアーソン PLC ※許可を得て撮影

『ピーターラビットのおはなし』の原点は、病床にあった幼い男の子 ノエルを元気づけるため、ビアトリクスが1983年に送った絵手紙である。彼の母親 アニー・ムーアは、かつてビアトリクスの家庭教師を務め、その後も家族ぐるみで交流を続けていた。

本展ではこの貴重な絵手紙の直筆オリジナルが、日本初公開の資料として展示されている。白い便箋2枚を二つ折りして8ページに仕立て、黒いペンで描かれた17点の線描画に文章が添えられている。療養する彼を励ますような、優しさあふれる物語だ。


普段からアニー・ムーアの子どもたちへ絵手紙を書いていたビアトリクスは、アニーからの提案で、それらを絵本として刊行すべく出版社へ売り込むも、なかなか実現しなかった。彼女はそこで諦めることなく、私家版、つまり自費出版で絵本を作ってしまう。知人たちへ売り込み、増刷するほど利益を得たというから、素晴らしい行動力だ。しかも売り込んだ出版社の一つから、私家版が出来上がる前に、商業出版の提案も得る。これが現在まで続く、フレデリック・ウォーン社との歴史のはじまりとなった。


「出版120周年 ピーターラビット™展」展示風景より ※許可を得て撮影

本展では、貴重な私家版や出版に際してウォーン社とやりとりされた手紙が展示された先に、最大の見どころとも言える特別な空間が広がる。『ピーターラビットのおはなし』の挿絵に使われた全ての水彩原画が、イギリス外では初めて展示されているのだ。


一つひとつには、本展を監修した河野芳英氏(大東文化大学 英米文学科教授)が適宜抜粋し日本語に訳した本文が添えられている。絵本を1ページずつめくって読み進めるように、ゆったりと原画を眺めながら物語を楽しめる、というしつらえが見事だった。


なお、会場内にはフォトスポットが点在しているが、特にこの展示室にある、ピーターと野菜畑の様子や、家族で暮らす大きなモミの木の下の家、天井に浮かぶ白い雲と、物語の世界を体感できるよう細部まで丁寧に作られていると感じた。世界でみても作品のファンが多くいる日本だからこそ、実現したであろう滅多にない機会を、ぜひ多くの方に楽しんでいただきたい。


『ピーターラビットのおはなし』挿絵原画(1902) ※許可を得て撮影

原画を鑑賞しながら、ふと改めて不思議に思えてくることがあった。現代のアニメーションなどに登場する動物のキャラクターは、人間のようなしぐさで泣いたり笑ったり、表情も豊かだ。しかし、ピーターラビットシリーズに登場する動物たちは動物の有り体のまま、表情は変化しない。本文もシンプルな語り口なのに、不思議と心境が理解できるのはなぜだろう。

子どもが読む作品だから、と、敢えてわかりやすく擬人化しない、表情で示さない。自然のままの動物や風景が描かれている。だから、読み手は動物たちに寄り添い、その気持ちを自由に想像できる余地がある。よって物語は、読み手一人ひとりの幼い日の出来事や、さまざまな記憶、思い出と結びついていき、永く読み継がれていくのではないか、と腑に落ちた。


挿絵画家から人気絵本作家になったビアトリクス。彼女は画力や行動力だけでなく、ビジネスの才能にも非常に長けていた。大切なピーターラビットの物語とその世界観を適切に守り、多くの人々に永く愛される存在であり続けるために、初めてキャラクター商品化の特許を取得する。そして、ウォーン社と協力しながら自らもアイデアを出し、おもちゃやカレンダー、パズル、湯たんぽまで、さまざまなキャラクターグッズ商品を開発・販売していった。

本展では当時のグッズも多数展示され、さまざまな人々の日常に物語が寄り添っていたことが伺えた。そして、展示室の最後に設けられた特設のミュージアムショップでも、公式かつ展示室限定のグッズが多数展開されている。グッズを通して、展覧会の余韻と思い出、作品の魅力を日常に取り入れてみるのも、絵本とはまた違う、展覧会ならではの楽しさと言える。


展示室の最後には、ピーターラビットシリーズに描かれた、イングランド北西部のカンブリア州の湖水地方を紹介するスペースがあった。1905年、ビアトリクスはベストセラーとなった絵本の印税と、伯母からの遺産をもとに、この地域のヒルトップ農場を買い取る。ロンドンで育ったビアトリクスにとって、湖水地方の美しい風景はかけがえのないものだった。そして農場を経営しながら不適切な開発事業から豊かな自然を守るため、コツコツと地域の土地を購入し続け、ついには4000エーカー以上もの広大な土地が、彼女の名義となる。彼女の死後は、遺言の通りナショナル・トラストへ遺贈され、後にユネスコの世界遺産登録へと繋がったのだ。いつの日か、ビアトリクスが守り抜いた湖水地方へと訪れてみたい。海外旅行に出かけられない日々が続いたからこそ、誰もがきっと思うのではないだろうか。


なお、本展は、7月2日から大阪・あべのハルカス美術館で、9月15日から静岡市美術館へ巡回予定である。繊細で美しい原画をはじめ、貴重な資料群が来日したまたとない機会だ。新緑から緑濃い夏、そして紅葉の秋にかけ、森や草花の香りとウサギの足音が聞こえてきそうな自然豊かな展覧会を、ぜひ楽しんで欲しい。


「出版120周年 ピーターラビット™展」展示風景より ※許可を得て撮影

【開催概要】

出版120周年 ピーターラビット™展

期間:2022年3月26日(土)〜2022年6月19日(日)

会場:世田谷美術館 Google Map

住所東京都世田谷区砧公園1-2 [公式アクセスMAP]

時間10:00〜18:00 (最終入場時間 17:30)

休館日月曜日 ただし、5月2日(月)は開館

観覧料一般 1,600円、65歳以上 1,300円、大高生 800円、中小生 500円

※障がい者の方は500円。小中高大生の障がい者の方は無料。介助者(当該障がい者1名につき1名)は無料

※未就学児無料

※高校生、大学生、専門学校生、65歳以上の方、各種お手帳をお持ちの方は、いずれも証明できるものを要提示

※各種割引については世田谷美術館窓口にて取り扱います


新型コロナウイルス感染症対策のため、会期中の土日・祝休日および 5月2日(月)は、日時指定券を販売します。詳しくは展覧会公式サイトをご確認ください

TEL050-5541-8600(ハローダイヤル)全日9:00 ~20:00

URLhttps://peter120.exhibit.jp


PETER RABBIT™ & BEATRIX POTTER™ © Frederick Warne & Co., 2022


プロフィール

Naomi_N
■ミュージアム&デザインライター・インタビュアー・編集者 ■note『思案✏︎』にて展覧会/ミュージアムグッズ/作家/図録・本の話を5のつく日に更新中
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