イスラエル博物館所蔵 ピカソ ー ひらめきの原点 ー
佐川美術館|滋賀県
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昼ドラも真っ青な激しい女性遍歴と名前が原点?『ピカソーひらめきの原点-』
暑いという言葉しか出ない先日、イスラエル博物館所蔵のピカソ展を訪問しました。
中東イスラエル博物館所蔵品の日本公開は珍しいですね。作品数多数のピカソでも、初お目見え作品が多くて注目です。
限定スペースは写真撮影可能です。記憶力が右肩下がりで記憶のカメラに頼れない私は今回もパシャパシャ撮影します。
記憶のデータよりカメラのデータをよすがにします(笑)
あまりにメジャーなピカソですが、作品以外でも際立つのが名前の長さと作品の多さ。
特に名前はジュゲム並みの長さで、答案用紙や習字で自分の署名長いと大変だなとか思いますが、
ピカソが書いたら名前だけで紙面埋まるんじゃないかと思います。
正式名=パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ
・・・長っΣ(´∀`;)。
名前分解して意味解説するとこんな感じです。
①パブロ=本人のファーストネーム。伯父さんの名前で新約聖書の聖人パウロ由来。スペインの人は親しい身内の名前を付ける事が多い。
②ディエゴ=スペイン絵画の巨匠、ディエゴ・ベラスケス由来。
③ホセ=父親のファーストネーム。同時にバロック期のスペイン画家ホセ・デ・リベーラ由来。
④フランシスコ・デ・パウラ=母方の祖父の名前。聖人フランチェスコが由来。
⑤ホアン・ネポムセーノ=父の友人の名前。14世紀ローマ・カトリック教会の聖人、ネポムクの聖ヨハネが由来。ゴッドファーザー。
⑥マリア・デ・ロス・レメディオス=ピカソの洗礼で立会い証人となった代母(だいぼ)の名前。ゴッドマザー。
⑦クリスピーン・クリスピアーノ=ピカソと同じ誕生日の靴屋や製皮・皮革職人の守護聖人、クリスピヌスとクリスピニアヌスが由来。
⑧デ・ラ・サンティシマ・トリニダード=エズス会伝道施設が由来。「パラナの聖三位一体」という意味。
⑨ルイス=父親の姓
⑩ピカソ=母親の姓
なんでこんなに長いのかといえば、元々スペイン地域では両親の苗字を子供につける習慣
(サッカー選手でバロンドールに輝いたC・ロナウドや俳優のA・バンデラスも正式名では4~5個名前持ち)
に加えて、ピカソ誕生の頃は複数の聖人名を洗礼名につける風習もあったようで、聖人の名前をたくさんつける⇒加護も多くなる考えから
盛りに盛った結果のようです。
両親や親せき、友人一同からの愛ですね。ちょっと、いやだいぶ愛が多くて重い(笑)
8人もの聖人の加護なのか、名は体を表すせいなのか分かりませんが、ピカソの愛も常人よりだいぶ多くて伴侶が変わると画風も多重人格かと思えるくらい
ガラリと変わります。それが如実にわかるのが今回の展示作品。その画風のカメレオンぶりを考察する作品をピックします。
◎ジャクリーヌの横顔作品群
リトグラフ 1950年代
モデルはピカソの2番目の妻、ジャクリーヌを描いた作品群。様々なタッチで描かれたピカソの奥さんです。
ズラリと並んだ横顔ですが、面白いくらいに描き方が異なっていて、一見すると同じ人が描いた作品とは思えません。
写実的であったり、多面的なキュビズムであったり、パウル・クレーのようにシンプル線しか無い、絵本イラストのようなものだったりと
違う人が同じモデルを描いたかのようで驚きます。
ちなみにジャクリーヌは26歳の時にピカソと出会います。この時ピカソは御年72歳。72-26=46歳差。
この年齢差に若干もやもやしますが、ピカソが彼女との関係の前に付き合ったマリー・テレーズ嬢は46歳で17歳未成年をナンパして愛人にしています。
・・・令和の今なら犯罪臭がありすぎて警報鳴らしたくなりますので、既に成人女性に声を掛けるのはセーフ・・なの・・か?
ピカソはジャクリーヌに惚れると猪突猛進の求愛行動を始め、彼女の家にチョークで鳩の絵を描いたり(不法侵入とか器物破損とかは・・・)、
毎日バラの花を持って通いつめ等々、ラテン民族の情熱で押しまくり、6ヶ月後にお付き合いを開始したもよう。
そして別居していた最初の妻のオルガが死去してから結婚しています。それからピカソの死まで献身的に支えて、死後もピカソの作品管理、事務処理を
してからピカソの墓前でピストル自殺するという、この女性人生で映画ができそうな情熱というか、情念の強い女性です。
作品の多さ、多様さもピカソのジャクリーヌへの愛情を表しているように思えます。
②ヴォラール連作群
「夜、少女に導かれる盲目のミノタウロス(Minotaure aveugle guidé par une fillette dans la nuit)」
版画 1930~1937年
こちらは7年かけて制作された100点の連作版画です。戦争犯罪を告発する大作【ゲルニカ】の直前に制作されました。
ピカソの49~56歳までの絶頂期の作品であり、ピカソの版画作品の最高傑作のひとつといわれています。
特に私が惹かれたのはギリシャ神話に登場するミノタウルスが登場した【夜・少女に導かれる盲目のミノタウロス】。
モノクロで、筋骨隆々の盲目のミノタウロスが、鳩を抱いた小さな美少女に導かれる幻想的な絵画です。
ミノタウロスはギリシャの南にある島国クレタの王族と牛との子で、あまりに凶悪かつ乱暴で迷宮に閉じ込められ、英雄テセウスに退治される怪物です。
神話上のミノタウロスは退治されてしまうので存命していないのですが、ピカソは何故かミノタウロスを盲目にして少女に導びかれるという物語を創作。
ゴツイ牛の怪物と可憐な少女という、なんだか倒錯的というか耽美な香りですが、この少女のモデルは①でも触れた愛人のひとり、マリー・テレーズ嬢と言われています。このマリー嬢、ピカソが一目ぼれしてモデルになってくれとナンパした(現代なら警察案件・・・)のですが、当時ピカソは先妻のオルガと離婚出来ず、彼女は結局愛人状態のままピカソと破局してしまいます。
西洋絵画では半身半獣は性欲の象徴として描くことがあり、神話にも登場する下半身が獣のサテュロスなどは典型な例。
ミノタウロスも半身半獣で肉欲の象徴として、ピカソは自分をミノタウロスに見立て、自分の旺盛な肉欲と愛情が盲目的な激しさであることを、絵を通じて表現しようとしたのではないかと思われます。何故かというと、このモチーフが繰り返し描かれた1934年と言うのは、ピカソとマリー・テレーズの仲が最高潮だったと推察されるからです。翌年娘を出産した後、ピカソは新たな恋人を作って、昭和ドラマ傑作『家●婦は見た』でクライマックスになりそうな愛人同士の直接対決という修羅場を繰り広げた後マリーは去り、その後自殺しています。
ちなみにピカソは当時愛人同士の戦いをけしかけていたという屑っぷり。。。ハリセンで殴たい(#・∀・)
ピカソの女性遍歴は言いたいことが有りすぎて脱線してしまうので会場に戻りますが、そのマリー嬢の横顔の肖像もあります。
涼やかな清楚系美少女で、ミノタウロスを導く絵の少女のモデルとすぐに分かります。盲目のミノタウロスのように、この当時は
ピカソもマリー嬢にのめり込み、溺愛していたのだろうなと思います。
明確に判っているだけでも7人の女性と婚姻あるいは事実婚状態になったピカソ。
その女性遍歴に合わせて画風がガラリと変わって、変貌ぶりに驚かされます。
映画かよ!とツッコみたくなる女性問題を知った上でこの作品群を見ると、ピカソへの感じ方がまた変わって新たな感慨が持てそうです。
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