フォンタネージ―イタリアの光・心の風景
開催期間: ~
クリップ数:33件感想評価:4件
- VIEW233
- THANKS8
フォンタネージがお雇い外国人教師として推薦されたのは何故?の疑問が残りました。
「お雇い外国人教師」としてフォンタネージは知っていましたが、彼の画業や作品については知りませんでした。フォンタネージの画業とその評価を丁寧にたどる展覧会です。
それにしてもコローとあまりにも似ていて吃驚でした。点景の少女像はミレーに、動物はトロワイヨンにそっくりで、まさにまさにバルビゾン派の影響を強く受けています。ロンドン滞在で学んだターナーやコンスタブルの影響も分かりやすい。わずか2年の日本滞在での功績は大きかったのではないでしょうか。西洋画や風景画の基本を日本の画学生たちはとても真剣に学び、フォンタネージを慕っていたと思います。
西洋の画家の日本滞在中のスケッチはいつもながらに興味深いです。西洋とは全く異なる異国での興味の先がスケッチに収められています。イコン画家山下りんも工部美術学校で学び、本当はフォンタネージから学んだような絵を描きたかったのですよね。
この後日本人画家たちはごぞってフランスへ留学し、さらにはゴッホ巡礼なぞということも流行るのです。藤田嗣治は渡仏して黒田に習ったことなぞ何の役にも立たないと残していますし、佐伯雄三はヴラマンクから「このアカデミックめ!」と怒鳴られ、本家フランスでもその評価は分かれるところです。ジェロームなどの再評価は近年高まっているとも聞くところで、コランや黒田は苦手ですが、ジェローム好きとしては嬉しい限りです。
山田五郎さんにフェノロサやフォンタネージについても語ってほしかったです。
北澤憲昭著『眼の神殿 「美術」受容史ノート』を読み、フェノロサとフォンタネージを「二人のFF」と書かれていました。
古田亮著『狩野芳崖・高橋由一 日本画も西洋画も帰する処は同一の処』には、上記の本についても言及があるのですが、高橋由一の息子、源吉は工部美術学校でフォンタネージに油画を学んでいました。高橋由一は亡くなる前年に「洋画沿革展覧会」を開き、自身の作品とともに、源吉が描いたフォンタネージの肖像画を掲げました。フェノロサとも接点のあった高橋由一はフェノロサの描いた《風景》も展示しています。本著によれば、フェノロサの日本画へ傾倒は、萌芽の日本洋画壇にはとても厳しい時代であったようです。フォンタネージが日本に滞在した2年は、その後の日本における洋画への反動期の直前で画家たちが自由に伸びのびと仕事ができた時期であったと古田氏の著書には書かれてありました。東京美術学校は明治22年に(1889)に開校されますが、西洋画科が設置されるのは、フォンたネージュも日本を去り、由一の死から2年後の明治29年(1896)です。ここで登場するのが黒田清輝でした。本展を観ても、私の中では、フォンタネージは風景画のイメージで、黒田は人体デッサンのイメージです。このあたりを深堀りするのも面白そうです。
本展でフォンタネージに学んだ女学生の名がどっかで最近読んだ中にあったなぁ…と思っておりましたら、原田マハ著『晴れの日の木馬たち』の中だったかもしれません。朝井まかて著『白光』と共にお薦めです。
一部を除いて撮影可、三菱一号館美術館、名古屋市美へ巡回です。
コレクション・ギャラリー
「生誕160年 神坂雪佳」が良かったです。川西英だけではない「没後80年 北村今三」関西の懐かしい光景。関西学院高等部からは詩人や吉原治良など画家も多く輩出しているなぁと思いました。甲南と共に阪神間のぼんが通っていたのでしょう。「MoMAK マスターズ」吉原治良の円環を背景にした 八木一夫《ザムザ氏の散歩》が凄く良かった!
- 8
- BY morinousagisan