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FEATURE

パレスチナ・ガザの現実を、
助けを求め続けた6歳の少女の肉声を通して描く。
映画『ヒンド・ラジャブの声』

カウテール・ベン・ハニア監督インタビュー
9月4日(金) 新宿武蔵野館、 Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開

映画レポート・映画評

ヒンド・ラジャブの救出に力を尽くすパレスチナ赤新月社のスタッフたち
ヒンド・ラジャブの救出に力を尽くすパレスチナ赤新月社のスタッフたち

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取材・文:森聖加

「ひとりにしないで。早く来て!」。6歳の少女が、電話の相手に必死に救いを求める。2024年1月29日、イスラエル軍による攻撃が激化していたパレスチナ・ガザ地区で、7人の市民が乗る車が銃撃された。車内には、親族の遺体に囲まれながらひとり生き残った少女がいた。ヒンド・ラジャブ・ハマダ。彼女は赤新月社の緊急通報センターからの電話に助けを求め続けた。しかし、救出はかなわず、12日後、銃撃された車の中で遺体となって発見される。車両には355発の弾痕が残されていた――。

報道やソーシャルメディアを通じて世界に広がったヒンドの通話音声は、チュニジアの映画監督カウテール・ベン・ハニアの心を動かした。『皮膚を売った男』『Four Daughters フォー・ドーターズ』などで国際的な評価を得てきた監督は、ヒンドの母親や関係者への取材とリサーチを重ね、映画化に踏み切る。赤新月社でヒンドの救出に奔走するボランティアスタッフたちの姿を軸に、実際の音声記録や映像を組み合わせ、映画『ヒンド・ラジャブの声』を完成させた。

本作は第82回ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(グランプリ)を含む8冠を獲得し、第98回アカデミー賞国際長編映画賞にもノミネート。来日したカウテール・ベン・ハニア監督に話を聞いた。

カウテール・ベン・ハニア監督 撮影/森 聖加
カウテール・ベン・ハニア監督 撮影/森 聖加

カウテール・ベン・ハニア監督 プロフィール

1977年、チュニジア生まれ。チュニジアとフランスで映画制作を学ぶ。『The Challat of Tunis』(14)で長編デビュー。『皮膚を売った男』(20)はアカデミー賞長編国際映画賞にノミネート。『Four Daughters フォー・ドーターズ』(23)はカンヌ映画祭コンペティション部門でゴールデンアイ賞を受賞し、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にもノミネートされた。

――作品のビジョンやモチベーションを俳優たちとどのように共有されましたか。また、彼らの演技をどう評価していますか?

カウテール・ベン・ハニア(以下ベン・ハニア)すべては、ヒンドの音声から始まりました。この記録資料が映画の背骨になるとわかっていました。救出に力を尽くしたパレスチナ赤新月社の人々の視点から、つまりオフィス内に限って撮影すると決め、私は実際にヒンドと通話した当事者に何が起こったのかを聞き、証言をもとに脚本を書き上げました。

彼らこそが物語の本当のヒーローです。キャスティングを始めたとき、彼らを念頭に置いていました。私の仕事は彼らを演じきる最高の俳優を見つけること。4人の素晴らしい俳優に出会うことができました。全員がパレスチナ人で、もちろんヒンドの物語を知っていました。なかには、イスラエルによる占領と結びついた非常に厳しい幼少期の経験をもつ人もいました。

フィクション映画を撮影するときは、俳優にこう演技をしてほしい、こう感じてもらいたいと演出をします。でも今回は、彼らにそんな演出するのは、おこがましいことのように思いました。だから、まったく異なる方法で撮ることにし、俳優たちにはカメラの前で撮影を始めるまでヒンドの声を聞かせませんでした。リハーサルもなし。彼らには「演技」してほしかったのではなく、ヒンドの声を本番で初めてヘッドフォンを通して聞き、ただ反応してほしかった。ヒンドが生きていた、あの瞬間に戻ってもらいたかったのです。それはドキュメンタリーを撮るようなものでした。

――みなさんで共有していた使命のようなものはありますか?

ベン・ハニア はい。映画は1カ所で撮影し、クルーも小さく、私たちは家族のようになりました。お互いを気遣い、撮影の合間にもたくさん話をしました。同時に、私たちは自分たちが恵まれた立場にいることも忘れないようにしていました。アーティストとして持っている特権をヒンドの物語を伝えるために使うべきだと。それが映画をつくるうえの大きな原動力になりました。

――過去のインタビューで、報道では伝えきれない感情を映画は伝えられるとおっしゃられています。歴史的事実が恣意的に書き換えられる現実もある現代において、ヒンドさんのリアルな録音音声を使ったのは、人々に感情を湧き起こす以外の意図もありましたか?

ベン・ハニア 先ほども申し上げたとおり、すべてはヒンドの声から始まっています。私はインターネットで彼女の声を聞き、本当の声を残すことがとても重要だと感じました。もちろん、映画作家としてはいろいろな可能性を考えます。たとえば、子どもの俳優にヒンドの言葉を真似させることもできました。でも、それではヒンドの記憶に対してとても失礼なことになると感じました。彼女の声は本物だからです。

ヒンド・ラジャブ(本人)の写真を掲げるオマール(モタズ・マルヒーズ)
ヒンド・ラジャブ(本人)の写真を掲げるオマール(モタズ・マルヒーズ)

彼女の声を使うことは、観客に「この物語は現実に起きたことであり、ヒンドは実際に存在していた」ことを突き付けるための、最も有効な手段でした。同時に、彼女を記憶にとどめる行為でもあり、その声に耳を傾ける行為でもあります。

私が初めて耳にしたとき、彼女の声はほんの一部がインターネット上のフィードに埋もれていたのです。そんな環境は立ち止まって物事を記憶したり、耳を傾けるのに適した場所ではありません。次々にスクロールされ、何もかが流れていく。だから、彼女の声を作品の中に置くことで、観客には暗い映画館で声に耳を傾け、理解し、出来事と向き合ってもらいたかった。この戦争犯罪は事実です。実際に起きたことを、彼女の声が伝えています。

――つまり、自分に都合のいい別の語りを持ち込み、元の出来事を歪めようとする人が出てこないようにする、ということですか?

ベン・ハニア はい、そのとおりです。実際、この事件については「(イスラエル軍は)我々がやったことではない。我々はそこにいなかった」などと主張をしていました。でも衛星画像によって、車の周囲に戦車がいたことが示されました。事実を歪める試みは失敗したのです。さらにワシントン・ポストやフォレンジック・アーキテクチャーによる調査で、すでにこの事件には多くの証拠があります。だから、私はさらに事実を説明し続ける必要はないと思いました。映画は別のことをする。ヒンドの命を懸命に救おうとしていた人道支援活動家たちの立場に観客自身が身を置き、その感情を感じ、理解することです。

※取材のあった2026年8月19日、イスラエル国防軍(IDF)はヒンド・ラジャブとその家族が乗っていた車への発砲を初めて認め、刑事捜査を開始するとの声明を発表。これに対しハニア監督は「この発表は煙幕に過ぎません」という強い言葉を含め、軍のまやかしに抗議する声明文を発表した。

――映画の制作にあたり、ヒンドさんのお母さん(ウィッサムさん)とは、どのような話をされましたか。また、母親は映画をどのように支えてくれましたか?

ベン・ハニア ウィッサムの許可なしには、この映画をつくることはできませんでした。初めて電話で話したとき、ヒンドの母親と家族はガザにいました。私たちは最初から長い会話を交わし、まるで自分のいとこと話しているように、とても親しくなりました。

彼女はすぐにこう言いました。「娘の物語を伝えてほしい。娘を、(殺された)たくさんの子どもたちの数のひとつにしないでほしい」。そして、「ヒンドの正義を求めたい。でも、(イスラエル軍の)責任が問われることがないこともわかっています。もし映画が何らかの形で役に立つのなら、つくってください」と。

ヒンドの母親はとても強く、たくましい人です。その後も連絡を取り続けましたが、ガザにいる彼女たちは爆撃や飢餓のなかで生き延びることだけで精一杯の状況にありました。さらに、映画が完成し、ヒンドの物語が報道されることで、彼女たちがより危険な状況にさらされ私たちは非常に危惧しました。イスラエル軍から「娘について話すのをやめろ」と脅されてもいましたから。幸い、映画の支援者の協力を得て家族をガザから避難させることができました。

その後、ドーハの映画祭で実際にヒンドの母親に会い、オープニング作品として上映された舞台挨拶に彼女が立ちました。とても印象的な瞬間でした。彼女はそのとき、娘を失ったことを改めて実感すると同時に、ガザにはまだ生きている子どもたちがたくさんいる、自分はその子どもたちの声にならなければならないと考えるようになりました。そして、子どもたちを助ける慈善活動をはじめたのです。

――お母さんは映画を見たのでしょうか?

ベン・ハニア 編集が終わったとき、彼女に観てほしかったのですが、「それは無理です。インターネット上にあふれる娘の声すら、私は聞けません」と言いました。「あなたを信頼しています。映画は家族に見せてください。兄が良し悪しを伝えてくれるでしょう」。その後、別の映画祭で会う機会があり、彼女はヒンドの物語が人々に影響を与えているのを目にすることで、大きな力を得たのです。

――イスラエル軍は意図的に子どもたちを標的にしていると伝えられています。これはある意味、パレスチナの未来そのものを消すことです。監督はどう考えていますか?

ベン・ハニア 本当に最悪なことです。ガザでは2万人以上の子どもたちが殺された、と私たちは数字で語ります。でも、この「2万」という数字からは、ひとりひとりの顔は見えません。人間は、数字に感情は抱けないものです。映画は2万人のうちの、ひとりの少女について描いています。ひとりに心を寄せることができたなら、同じく2万人のことを考えてみてほしい。どんな人にも耐えられないほどの痛みです。それこそがジェノサイドの現実なのです。

――子供は守られるべきという普遍的倫理があるなかで、昨今、社会は政治的なナラティブによって分断される状況にあります。映画はこの分断にどのように答えを提示できるとお考えですか。

ベン・ハニア その質問は映画に多くを求めすぎているかもしれませんね。映画作家は政治家ではなく、社会がどう進むべきか意思決定できる立場にはありません。もちろん、映画だからこそできる役割もあります。それが人々の物事の見方を変えることです。

世界には、支配的な言説があります。その一方で、不正義について語ることのできるアーティストがいます。私は作品が世界中で何らかの反響を呼び、人々がガザを見る視点を変えることができるのではないかと思っていました。

ガザで起きていることに対する人々の見方が大きく変わったことを、作品を通して実感しました。映画はひとりの少女の、ひとつの物語です。でも、物語を通して、ガザで起きていることの全体像、深刻さを知ることができる。映画が物事をすぐに変えることはできませんが、緩やかながら、より大きな変化の動きを後押しすることはできます。少なくとも、それが映画をつくることで私が願うことです。

――本作は多くの賞を受賞し、アカデミー賞にもノミネートされました。いまではパレスチナを伝える物語の冒頭にヒンドさんの話が置かれるほど、大きな広がりを見せています。

ベン・ハニア 制作にあたり考えていたのは、ヒンドの声を世界中に響かせることでした。パレスチナや中東、政治に関心のある人だけではなく、むしろ政治に関心がない人、何も知らない人にこそ観てもらいたかった。私にとっては彼らこそ興味深い観客です。パレスチナの物語は、特に欧米の主流メディアでは十分なスペースを与えられていません。だから、できるだけ多くの人に観てもらうことが重要でした。

この映画は、心地よく楽しめる娯楽作品ではありません。人々はたいてい映画館にエンターテインメントを求めてやってきます。だからこそ、ヴェネチアをはじめとする映画祭やアカデミー賞で注目され、光が当てられたことは大きなことでした。さもなければ観てもらうこと自体が難しかったでしょう。実際、パレスチナについて何も知らなかった人たちが作品を見て、突然、そこで何が起きているのかに関心を持ってくれるようになっています。そして今、私は地球の反対側の日本にいる。ヒンドの声をこの場所まで届けることができたことをうれしく思います。

映画『ヒンド・ラジャブの声』予告
映画『ヒンド・ラジャブの声』
監督・脚本 カウテール・ベン・ハニア
出演 サジャ・キラニ 、モタズ・マルヒース、アメル・フレヘル、クララ・フーリ
協力 パレスチナ赤新月社
2025年/チュニジア、フランス/アラビア語・英語/89分
配給 スターキャットアルバトロス・フィルム
公式サイト https://hindrajabjp.com
©MIME FILMS — TANIT FILMS
2026年9月4日(金) 新宿武蔵野館、 Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下、シネスイッチ銀座ほか
全国順次公開
*本作の日本国内配給による収益の一部は、被害者の遺族および赤新月社に寄付されます

森 聖加

編集者、ライター。書籍『歌と映像で読み解く ブラック・ライヴズ・マター』の編集、クエストラヴ著『ミュージック・イズ・ヒストリー』の監訳を担当(藤田正との共監訳/いずれもシンコーミュージック・エンタテイメント刊)などで、音楽を中心とするポップ・カルチャーの視点からアメリカ黒人の歴史と文化を発信。ほかにアート、建築など分野を超えクロス・カルチュラルの視点でわかりやすく伝えることをモットーに取材を続ける。

森 聖加

編集者、ライター。書籍『歌と映像で読み解く ブラック・ライヴズ・マター』の編集、クエストラヴ著『ミュージック・イズ・ヒストリー』の監訳を担当(藤田正との共監訳/いずれもシンコーミュージック・エンタテイメント刊)などで、音楽を中心とするポップ・カルチャーの視点からアメリカ黒人の歴史と文化を発信。ほかにアート、建築など分野を超えクロス・カルチュラルの視点でわかりやすく伝えることをモットーに取材を続ける。

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