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FEATURE

絵画から聴こえる「色と形の響き」。
カンディンスキーの画業と日本への影響をたどる

「カンディンスキー 世界は鳴りひびく ー 日本のコレクションでたどる画業と反響 ー」が、宇都宮美術館にて開催

内覧会・記者発表会レポート

ワシリー・カンディンスキー《尖端》 1920年 カンヴァス,油彩 公益財団法人大原芸術財団 大原美術館蔵 展示風景より
ワシリー・カンディンスキー《尖端》 1920年 カンヴァス,油彩 公益財団法人大原芸術財団 大原美術館蔵 展示風景より

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宇都宮美術館にて、「カンディンスキー 世界は鳴りひびく ー 日本のコレクションでたどる画業と反響 ー」が、2026年7月19日(日)より9月3日(木)まで開催されている。

国内で本格的なカンディンスキー展が開催されるのは、約24年ぶりである。初期から晩年までの画業を通覧できる本展は、国内でカンディンスキーの全貌に触れられる、またとない機会だ。

ワシリー・カンディンスキー《支え無し》 1923年 カンヴァス,油彩 97.3×93.7㎝ ポーラ美術館蔵
ワシリー・カンディンスキー《支え無し》 1923年 カンヴァス,油彩 97.3×93.7㎝ ポーラ美術館蔵

会場となる宇都宮美術館は、国内外の20世紀以降の美術とデザインを収集の柱とし、カンディンスキーがバウハウスで教鞭を執っていた1927年に制作した《浮遊》を所蔵するほか、「バウハウス・マイスター版画作品集」に収められた版画も収集してきた。絵画とデザイン、理論と教育を横断しながら20世紀の表現を切り拓いたカンディンスキーの歩みをたどるうえで、ふさわしい場所だ。

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「カンディンスキー 世界は鳴りひびく ー
日本のコレクションでたどる画業と反響 ー」
開催美術館:宇都宮美術館
開催期間:2026年7月19日(日)〜9月3日(木)

初期の作品に見る、カンディンスキーの原点

ワシリー・カンディンスキー《商人たちの到着》1905年 宮城県美術館蔵
ワシリー・カンディンスキー《商人たちの到着》1905年 宮城県美術館蔵

カンディンスキーの作品に対して、幾何学的で理知的、あるいは難解という印象を抱く人も少なくないだろう。しかし、初期に描いていたのは、私たちが「カンディンスキーらしい」と考える抽象画とは大きく異なる。

第1章「ミュンヘン、内なるロシアと色彩」では、学者としてのキャリアや印刷会社で商業デザインに従事した後、芸術家へと転身を試みた初期の貴重な作品を鑑賞することができる。

1866年、モスクワに生まれたカンディンスキーが、画家になるべくミュンヘンに渡ったのは1896年、30歳を迎える年のことだった。初期の作品は主に風景画のほか、騎士や馬、城壁に囲まれた都市、ロシアの教会など、童話や伝説を思わせる空想上のモチーフと物語性を備えた作品に大別される。

こうした幻想的な作品世界の背景には、幼い頃に伯母から聞かされたドイツの童話の記憶があったという。カンディンスキーは伯母から大きな影響を受け、後に著した芸術論「芸術における精神的なもの」を彼女に捧げているのだ。

画材も多岐にわたり、油彩のほか、テンペラやグアッシュによる作品にも取り組んでいる。さまざまな画材や技法を横断するなかで、後の抽象絵画にも通じる斑点状や帯状のタッチが、すでにこの頃から現れ始めていた。また、精力的に制作した木版画では、対象を簡素な形態へと様式化し、形と色彩の組み合わせがもたらす視覚的効果を探求している。

芸術理論の構築と、抽象への道

第一章で紹介されている初期作品にも現れていた様式化の試みが、さらに発展したのが、1908年以降、ミュンヘン近郊のムルナウで制作された作品である。

続く第二章「抽象への道のりと『青騎士』」では、具象から抽象へと向かうカンディンスキーの表現の変化と、それと並行して築かれていった芸術理論が紹介されている。

ワシリー・カンディンスキー《3本の菩提樹》1908年 石橋財団アーティゾン美術館蔵
ワシリー・カンディンスキー《3本の菩提樹》1908年 石橋財団アーティゾン美術館蔵

ムルナウで繰り返し制作するなか、カンディンスキーの絵画は、目に見える対象を再現することから次第に距離を取っていく。形態はより簡潔になり、色彩も現実の印象に必ずしも従わず、画面全体の関係性のなかで用いられるようになった。具象と抽象の間を行き来しながら、徐々に抽象絵画へと歩みを進めていったのである。

ワシリー・カンディンスキー《「冷たいかたちのある即興」のための習作》1914年頃 静岡県立美術館蔵
ワシリー・カンディンスキー《「冷たいかたちのある即興」のための習作》1914年頃 静岡県立美術館蔵

こうした抽象化を促したものの一つが、第一章に引き続き、本章でも数多く展示されている木版画である。不慣れなため細部が削ぎ落とされ、対象が簡潔な形へと置き換えられる技法上の制約が、かえって形態の抽象化を促すことになったのだ。

1913年にミュンヘンで出版された、詩と版画が掲載された「響き」。展示風景より
1913年にミュンヘンで出版された、詩と版画が掲載された「響き」。展示風景より

こうした探求と並行して、芸術理論も構築していく。1911年に出版された「芸術における精神的なもの」では、芸術とは目に見える自然をそのまま写し取るものではなく、画家の内面から生じる「内的必然性」に従って形づくられるべきだと論じた。

さらに、自身の表現を、その成り立ちに応じて三つに分類している。外的な自然から受けた直接的な印象を形にする「インプレッション」、内的な衝動を無意識のうちに表す「インプロヴィゼーション」、そして内面で構想を練り、熟考を重ねてつくり上げる「コンポジション」である。色彩や形態を、それ自体が人間の内面に響く要素として捉えるこの理論は、彼が抽象へ向かうための重要な基盤となった。

カンディンスキーに影響を受けた日本の画家たち

ワシリー・カンディンスキー《尖端》1920年 公益財団法人大原芸術財団 大原美術館蔵
ワシリー・カンディンスキー《尖端》1920年 公益財団法人大原芸術財団 大原美術館蔵

本展の大きな見どころの一つが、カンディンスキーと日本との関係を探ることができる点である。国内に所蔵される作品によってその画業をたどるだけでなく、カンディンスキーの造形や芸術理論が日本でどのように受け止められ、新たな表現へと展開していったのかを知ることができる。

カンディンスキーの芸術は、第一次世界大戦前後には早くも日本へ紹介された。「芸術における精神的なもの」や年鑑誌「青騎士」の原著も国内にもたらされ、美術批評家や芸術家たちは、その概念の解釈を試みていった。

日本でその実作品が紹介された初期の重要な機会が、1914年に東京・日比谷美術館で開かれた「DER STURM木版画展覧会」である。山田耕筰と斎藤佳三が開催に携わったこの展覧会では、ベルリンの画廊デア・シュトゥルムを通じてもたらされた木版画70点が展示され、そのなかにはカンディンスキーの作品2点も含まれていた。ドイツ表現主義を実作品によって日本に紹介した、先駆的な展覧会だった。

萬鉄五郎《構図》1915年頃 岩手県立美術館蔵
萬鉄五郎《構図》1915年頃 岩手県立美術館蔵

大正期以降、カンディンスキーやバウハウスをめぐる思想は、絵画や版画にとどまらず、建築、デザイン、美術教育、音楽、演劇、舞踊など、さまざまな分野で受け止められていく。村山知義や仲田定之助らは、欧州の新たな芸術運動やバウハウスの動向を日本に紹介した。また、バウハウスに留学した山脇巖と山脇道子は、そこで学んだ造形理論や教育理念を帰国後の活動へとつなげている。

カンディンスキーが追求した、絵画や音楽、舞台芸術といった異なる領域を結びつける「諸芸術の総合」という理念もまた、近代日本における芸術運動と響き合った。抽象絵画の先駆者としてだけでなく、芸術の領域を横断し、そのあり方を問い直した思想家として、カンディンスキーの多彩な「響き」は日本にも広がっていったのである。

バウハウスからパリへ、変化し続けた抽象表現

ワシリー・カンディンスキー《浮遊》1927年 宇都宮美術館蔵
ワシリー・カンディンスキー《浮遊》1927年 宇都宮美術館蔵

ロシア革命後、一時帰国していたカンディンスキーは、1921年に再びドイツへ渡り、翌年から造形学校バウハウスで教鞭を執った。壁画や基礎造形の授業を担当しながら制作と理論の探求を続け、1926年には「点と線から面へ」を刊行している。

ワシリー・カンディンスキー《生き生きとした白》1934年 愛媛県美術館蔵
ワシリー・カンディンスキー《生き生きとした白》1934年 愛媛県美術館蔵

しかし、1933年にナチス政権によってバウハウスが閉鎖されると、パリへ移住。パリの光に影響を受けた画面には、明るく柔らかなパステルカラーが広がり、幾何学的な形態に代わって、原生生物を思わせる不定形のモチーフや自在な線が現れるようになる。

カンディンスキーのバウハウス時代のドローイングと共に、バウハウスで学び、その後マイスターも務めたマルセル・ブロイヤーのクラブチェア 第2版が展示されている。
カンディンスキーのバウハウス時代のドローイングと共に、バウハウスで学び、その後マイスターも務めた
マルセル・ブロイヤーのクラブチェア 第2版が展示されている。

当時のパリではキュビスムやシュルレアリスムが主流であり、カンディンスキーは必ずしもその中心に立つことはなかった。それでも、十分に理解されていなかった抽象芸術を擁護し、「具体美術」という呼称で差別化を試みながら、独自の表現を探求し続けた。晩年には大作こそ描かなかったものの、1944年に78歳で亡くなる半年前まで制作を続けている。最晩年の作品にも新たな形が息づき、画面には豊かな響きが絶えることなく生み出されていた。

晩年の作品群。「カンディンスキー 世界は鳴りひびく―日本のコレクションでたどる画業と反響―」展示風景
晩年の作品群。「カンディンスキー 世界は鳴りひびく―日本のコレクションでたどる画業と反響―」展示風景

「世界は鳴りひびく」という展覧会名が示すように、カンディンスキーにとって世界はただ目で捉えるものではなかった。あらゆる色と形に固有の響きを見いだし、それらを組み合わせることで、目には見えない内面の動きを絵画にしようとしたのである。

約24年ぶりとなる本格的なカンディンスキー展であり、その画業と日本での反響を一つの会場でたどることのできる本展。変化に富んだ作品を通して、私たちもまた、絵画から聞こえてくる豊かな「響き」に耳を澄ませたい。

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宇都宮美術館|Utsunomiya Museum of Art
320-0004 栃木県宇都宮市長岡町1077
開館時間:9:30〜17:00(最終入館時間 16:30)
休館日:月曜日

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