ミュシャ、シェレ、ロートレックが彩るベル・エポック。
「世紀末パリの煌めき」で味わうポスター芸術
「世紀末パリの煌めき ―OGATAコレクションにみるミュシャ、シェレ、ロートレック」が、茅ヶ崎市美術館にて開催

内覧会・記者発表会レポート 一覧に戻るFEATURE一覧に戻る
茅ヶ崎市美術館にて、「世紀末パリの煌めき ―OGATAコレクションにみるミュシャ、シェレ、ロートレック」が、2026年6月17日(水)より8月23日(日)まで開催されている。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、パリは芸術と娯楽、そして消費文化がかつてないほど華やかに花開き、後にベル・エポック(美しき時代)と呼ばれる時代を迎えた。
- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 展覧会情報
- 「世紀末パリの煌めき ―
OGATAコレクションにみるミュシャ、シェレ、ロートレック」
開催美術館:茅ヶ崎市美術館
開催期間:2026年6月17日(水)〜8月23日(日)

この時代を象徴する芸術家として知られるのが、日本でも有名な画家アルフォンス・ミュシャ(1860 -1939)である。優美な曲線、花々に囲まれた女性像など、装飾性に富んだ作品は、今日でもアール・ヌーヴォーを代表するイメージとして広く親しまれている。

しかし本展は、単なるミュシャ展ではない。
約40年にわたりミュシャ作品を蒐集してきたコレクター・尾形寿行(おがた としゆき)氏のコレクションを中心に、ミュシャだけでなくジュール・シェレやアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックら同時代の作家たちの作品も紹介。演劇ポスターから装飾パネル、劇場資料、さらには香水ラベルやビスケット缶までを通して、ベル・エポック期の視覚文化の広がりを体感できる構成となっている。
展覧会の幕開けを飾るサラ・ベルナールのポスターの数々

会場に足を踏み入れると、最初に目に飛び込んでくる作品が《愛人たち》だ。1895年に制作されたこの作品は、ミュシャがモーリス・ドネイの喜劇「愛人たち」のために作ったポスターである。
さらに、ミュシャは1895年、名女優サラ・ベルナールが主演を務めた舞台の《ジスモンダ》のポスター制作も任され、一躍脚光を浴びる。この成功をきっかけに、サラ・ベルナールの作品を多く手掛けることとなった。以後、《メディア》《椿姫》《ラ・サマリテーヌ》など数々の演劇ポスターを制作し、ベル・エポックを代表するデザイナーへと成長していくこととなる。
縦長の画面いっぱいに描かれた女優の姿は、当時のパリの街を彩った広告でありながら、同時に新しい芸術表現でもある。演劇シリーズ9点が揃う機会は国内でも極めて珍しく、本展の核となる展示だ。
暮らしを彩るための芸術、装飾パネルの世界

同じく一階の展示室には、商業ポスターとともに、ミュシャの装飾パネルも数多く紹介されている。
商業ポスターが商品名や公演情報などの文字を含むのに対し、装飾パネルは室内を飾ることを目的とした作品である。そのためタイトルや商品名などの文字のない、季節や花、星、時間帯といった詩的なテーマによって生み出された作品そのものの美しさを楽しむことができる。
代表的な連作として紹介されているのが、《四季》や《四芸術》《四つの花》、そして夜空の輝きを主題としたシリーズ《月と星》である。日本でも共感しやすい春、夏、秋、冬や、月、宵の明星、北極星、明けの明星などといったモチーフを使い、ミュシャらしい可憐な女性たちが幻想的な世界観で描かれている。ひとつひとつの作品は独立して美しいが、連作として並ぶことで、時間の移ろいや自然のリズムがより鮮やかに立ち上がる。
ポスター芸術を切り拓いた作家らにも注目

地下の展示室には、「ポスター芸術の父」とも呼ばれるジュール・シェレや、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックなど、同時代を代表する作家たちの作品も数多く紹介されている。
展示されているのは、もともと街角を飾っていた約2メートルの大型ポスターを家庭でも鑑賞できるよう縮刷した「名作集」。シェレやロートレック、ボナールらによる作品が並び、それぞれの表現の違いを見比べながら楽しめる。

ミュシャの優雅で装飾的な女性像に対し、シェレは軽やかで躍動感のある人物表現、ロートレックは大胆な構図と鮮やかな色面によって、パリのナイトライフを生き生きと描き出した。同じ「広告」でありながら、それぞれがまったく異なる個性を持っていることがよくわかる展示だ。
祖国チェコへの想いが生んだ新たな表現

写真右:《スラヴ叙事詩展ポスター》1928年 リトグラフ、紙 堺 アルフォンス・ミュシャ館(堺市)蔵
展示後半では、ミュシャが祖国チェコへ活動の軸を移した時代が紹介される。
アメリカで成功を収めた後、ミュシャは「祖国のために尽くしたい」という思いを強く抱き、1918年のチェコスロヴァキア独立に際しては、切手や紙幣、公的文書など国家のデザインを無償で手がけた。
展示では、スメタナやドヴォルザーク、ヤナーチェクといったチェコを代表する音楽家のポスターや、民族衣装を描いた作品、慈善活動のためのポスターなども紹介されている。
興味深いのは、作品に描かれる女性たちの表情にも変化が見られることだ。初期の演劇ポスターや装飾パネルでは、穏やかで優雅な眼差しを向けていた女性たちが、この時代の作品ではどこか緊張感を帯び、時に厳しく前を見据えるような表情を浮かべている。華やかな商業芸術から、民族や祖国への思いを託す表現へ。作品に漂う空気そのものが大きく変化していることを感じ取れる。
商業広告で成功したデザイナーとしてだけではなく、自らの芸術を国や文化のために役立てようとしたミュシャのもうひとつの姿に触れられる展示となっている。
ポスターは街だけでなく、暮らしの中にもあった

展覧会の最後を飾るのは、ベル・エポックのデザインが日用品へ広がっていく様子を紹介するコーナーだ。
たばこの巻紙「JOB」のポスターや販促用ポストカード、灰皿、ビスケットメーカー「ルフェーヴル・ユティル」の華やかなブリキ缶、香水ラベルなど、当時の人々の暮らしを彩った数々のプロダクトが並ぶ。

ここで印象的なのは、ミュシャの作品が美術館だけで鑑賞されるものではなく、広告や包装、日用品を通じて日常生活の中へ浸透していたという事実である。
ベル・エポックの芸術は、特別な人だけのものではなかった。街を歩き、買い物をし、劇場へ向かう。その日常そのものが、美しいデザインによって彩られていたのである。
本展では、ミュシャの代表作を鑑賞できる上、シェレやロートレックら同時代の芸術家との比較、演劇文化や広告、装飾芸術、さらには香水やビスケット缶といった生活用品までを通して、19世紀末パリの豊かな視覚文化を立体的に体験できる。
約40年にわたりコレクションを築いてきた尾形寿行氏ならではの視点によって、一枚のポスターの背景にある歴史や文化、人々の暮らしまで見えてくる展示である。華やかな作品を眺めるだけでは終わらない、ベル・エポックという時代そのものを旅するような展覧会に、足を運んでみてはいかがだろうか。