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FEATURE

川合玉堂が描き出した、
日本が忘れた「日本の情景」

「川合玉堂 -なつかしい日本の情景-」が、山種美術館にて2026年7月26日(日)まで開館

内覧会・記者発表会レポート

山種美術館で開催中の開館60周年記念特別展「川合玉堂 -なつかしい日本の情景-」展示風景
山種美術館で開催中の開館60周年記念特別展「川合玉堂 -なつかしい日本の情景-」展示風景

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山種美術館は昭和41(1966)年、東京・日本橋兜町に日本初の日本画専門美術館として開館し、今年の7月7日に60周年を迎える。開館60周年を記念して、今年は同館が所蔵する珠玉の日本画作品を紹介する展覧会が目白押しだ。

特別展第1弾として、5月16日より開幕したのが、日本画家・川合玉堂(1873-1957)の画業を振り返る 開館60周年記念特別展「川合玉堂 -なつかしい日本の情景-」だ。

玉堂は、山種美術館の創立者である山﨑種二(1893-1983)と親交を深めており、その縁で美術館は玉堂作品71点を所蔵する。同館の60周年を飾るにふさわしい人選だろう。

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【開館60周年記念特別展】川合玉堂 -なつかしい日本の情景-
開催美術館:山種美術館
開催期間:2026年5月16日(土)〜7月26日(日)

《早乙女》が象徴する「なつかしい日本の情景」

川合玉堂《早乙女》 昭和20(1945)年 絹本・彩色 山種美術館
川合玉堂《早乙女》 昭和20(1945)年 絹本・彩色 山種美術館

川合玉堂(1873-1957)

愛知に生まれ、岐阜で育つ。13歳の時に京都の画家・望月玉泉の元で日本画を習い始め、やがて円山・四条派の幸野楳嶺(こうのばいれい)の門に移る。楳嶺の死後、橋本雅邦の作品に感銘を受け、雅邦に入門。円山・四条派の基礎の上に、狩野派の様式を取り入れ、独自の作風を確立する。

本展は、メインビジュアルにもなっている《早乙女》で幕を開ける。副題「なつかしい日本の情景」を象徴する1点だ。初夏の晴れた日、水を張った田に一つ一つ苗を植えていく女性たちの姿を描いた本作は、玉堂72歳の時の作。現代で言えばドローンから撮影したような大胆な俯瞰の構図が、それまでの伝統的な「山水画」とは異なる新鮮な感覚を見る者にもたらし、玉堂の絵画構成の妙が冴えわたる。

《早乙女》(部分)
女性たちの仕事に励む姿勢や表情などの何気ない仕草を的確に表し、スナップ写真のような臨場感に溢れる。
《早乙女》(部分)
女性たちの仕事に励む姿勢や表情などの何気ない仕草を的確に表し、スナップ写真のような臨場感に溢れる。

本展を監修した美術史家・山下裕二氏も「自分の幼少期にはまだこうして田植えをする光景があった」としみじみと語る。しかし、たとえこうした光景を目にしたことのない人でも、本作は牧歌的で郷愁の念を掻き立てる「日本の風景」としての風情に満ちている。

円山・四条派の「写生」と狩野派の「様式」を学ぶ

若き玉堂が描いた写生帖の展示
《写生画帖》(部分)明治21(1888)年 紙本・彩色 玉堂美術館
若き玉堂が描いた写生帖の展示
《写生画帖》(部分)明治21(1888)年 紙本・彩色 玉堂美術館

玉堂の穏やかで清新な風景画の世界。その独自の画風が確立される過程で重要なのが、「円山・四条派」と「狩野派」だ。玉堂は13歳で望月玉泉に学び、その後、幸野楳嶺の元で円山・四条派を学ぶ。そして明治期の狩野派である橋本雅邦の作品に感銘を受けると、22歳の時に雅邦の門下に入る。第1章では「研鑽の時代―明治期」と題し、若き玉堂が様々な画風を己のものにせんと研鑽を積んだ時期の作品を紹介する。

川合玉堂《鵜飼》明治 28(1895)年 絹本・彩色 山種美術館
川合玉堂《鵜飼》明治 28(1895)年 絹本・彩色 山種美術館

中でも注目したいのが《鵜飼》。岐阜で育った玉堂にとって、地元の風物詩である鵜飼の光景は「日本の情景」の中でも特に思い入れが強いもので、生涯にわたり鵜飼の光景を描いている。本展でも画業の後半期(60代、70代の頃)に描いた作品も展示されているので、画風の違いを楽しんでほしい。

この《鵜飼》が特別なのは、画題の点だけではない。本作を発表した「第四回内国勧業博覧会」で雅邦の作品を見て、その画風を学ぶことを決意する。まさに自分の運命を変える契機となった作品なのだ。

円山・四条派の写生を重んじる姿勢は画技の礎となり、残された写生帖からは花や鳥の姿を丹念に描き出そうとする姿がうかがえる。そうした「自然」の姿を見て、感じ、学ぶ態度、それによって培われた技量の上に、狩野派の持つ構築的な画面構成、粛然とした山水の趣など様式美が加わった。

川合玉堂《渓山秋趣》明治39(1906)年 絹本・彩色 山種美術館
雅邦の元に入門してからの作品。
川合玉堂《渓山秋趣》明治39(1906)年 絹本・彩色 山種美術館
雅邦の元に入門してからの作品。

続く第2章では「玉堂芸術の確立―大正から戦中期」と題し、玉堂がさらに先人の様々な様式を学び、そこから自身の画風を確立させていった大正から昭和前半までの作品が並ぶ。

第2章展示風景
第2章展示風景

六曲一双の大画面の作品《行く春》(東京国立近代美術館)の小下図(玉堂美術館)や、昭和天皇即位の記念式典のために制作された《昭和度 悠紀地方風俗歌図屏風》(皇居三の丸尚蔵館)といった大作の小下図(玉堂美術館)や、尾形光琳の《紅白梅図屏風》の影響を受けた《紅白梅》(玉堂美術館)が展示され、精力的に制作する玉堂の姿が浮かび上がる。

川合玉堂《紅白梅》 大正8(1919)年頃 紙本金地・彩色 玉堂美術館
川合玉堂《紅白梅》 大正8(1919)年頃 紙本金地・彩色 玉堂美術館

玉堂が見た日本の風景

川合玉堂《春風春水》昭和 15 (1940)年 絹本・彩色 山種美術館
川の水の深さの違いを透明感のある青色のグラデーションで表す。鮮やかな色彩だが、厚塗りしないことで澄んだ水のサラサラと流れる様子が感じられる。
川合玉堂《春風春水》昭和 15 (1940)年 絹本・彩色 山種美術館
川の水の深さの違いを透明感のある青色のグラデーションで表す。鮮やかな色彩だが、
厚塗りしないことで澄んだ水のサラサラと流れる様子が感じられる。

そうした大作の一方で、掛け軸の作品では、雄大な山水の中で、日々の営みに精を出す人々がさりげなく表された、山水図とも風俗図とも言える「日本の情景」も多く描いている。

展示風景
展示風景

ぜひとも玉堂の作品を見るには、少し離れたところから、そして今度はぐっと近づいてみてほしい。離れて見れば、湿潤な大気、あるいは遠くに聳える山の連なりに伝統的な山水図のような雄大さを感じることだろう。そして近くで見れば、山道を歩く人、仕事に精を出す人、それぞれの日常をひたむきに生きる人々の姿にホッとするような心地となる。

全体的に淡く透き通るように薄く施された彩色が、玉堂の風景画の魅力の1つだろう。穏やかで清々しい画風が目に心地よい。

川合玉堂《山雨一過》昭和18 (1943)年 絹本・彩色 山種美術館
川合玉堂《山雨一過》昭和18 (1943)年 絹本・彩色 山種美術館

戦時中の作品から見る玉堂の人物像

玉堂は第二次世界大戦が始まると、戦禍から逃れるため奥多摩に移り、戦後もそのまま住み続け、83歳で亡くなるまでの約13年を同地で過ごした。第3章では、その「奥多摩時代」の作品を紹介するのだが、その前に少しばかり「戦時下」を紹介したい。

川合玉堂《虎》昭和 18-20 (1943-45)年頃 紙本・墨画 山種美術館
川合玉堂《虎》昭和 18-20 (1943-45)年頃 紙本・墨画 山種美術館

玉堂は身近な人が出征する際に、「武運長久」「無事帰還」を願い「千里帰還」と言われる虎の絵を贈ったとされる。そのうちの1点がこの《虎》で、玉堂の絵を贈られた人は全員無事に戻って来たという。猛々しい虎の絵は、厳しい状況下でも周囲の人々への温情を忘れない玉堂の人となりを伝えてくれる。

《ラジオいま》昭和 14(1939)年頃 紙本・墨書淡彩 山種美術館
俳句も嗜んでいた玉堂。「ラジオいま軍艦まあち青あらし」の句が、簡略な筆で描かれた青紅葉の上に書かれている。
《ラジオいま》昭和 14(1939)年頃 紙本・墨書淡彩 山種美術館
俳句も嗜んでいた玉堂。「ラジオいま軍艦まあち青あらし」の句が、簡略な筆で描かれた青紅葉の上に書かれている。

より自由に、伸びやかに―奥多摩時代

第3章展示風景
第3章展示風景

奥多摩には若い頃から写生に訪れており、自然の豊かさと人々の人情に触れ、お気に入りの地であったが、自身も住むようになると、より一層、自然と人々の営みに深い慈しみの眼差しを向けた。

川合玉堂《高原帰駄》昭和 30(1955)年頃 紙本・彩色 山種美術館
玉堂は、自然は毎年同じように移り変わるが、常に新しいものであると考える。自然の観察に重きを置き、「自然をよき教師とせねばならぬ」という言葉を残している。
川合玉堂《高原帰駄》昭和 30(1955)年頃 紙本・彩色 山種美術館
玉堂は、自然は毎年同じように移り変わるが、常に新しいものであると考える。
自然の観察に重きを置き、「自然をよき教師とせねばならぬ」という言葉を残している。
(左)川合玉堂《釣り帰り》昭和 30 (1955)年 紙本・彩色 山種美術館
(右)川合玉堂《魚釣り》 昭和 23(1948)年頃 紙本・墨画淡彩 山種美術館
(左)川合玉堂《釣り帰り》昭和 30 (1955)年 紙本・彩色 山種美術館
(右)川合玉堂《魚釣り》 昭和 23(1948)年頃 紙本・墨画淡彩 山種美術館

美術館創立者・種二ら周囲の人々との交流

開館60周年の記念展らしく、山種美術館の創立者・山﨑種二と玉堂の友情の深さを物語る品々も展示されている。たとえば、戦中に奥多摩に住む玉堂の元に種二が米を送った際の礼状や、種二の娘の婚礼祝いに描いた鶴の絵など、親交の深さがうかがえる。

玉堂から種二宛ての手紙や玉堂の次男で洋画家の修二が作陶し、玉堂が絵付けを施した《菊絵図香炉》(昭和25-30(1950-55)年頃 陶器 山種美術館)などが展示。
玉堂から種二宛ての手紙や玉堂の次男で洋画家の修二が作陶し、玉堂が絵付けを施した
《菊絵図香炉》(昭和25-30(1950-55)年頃 陶器 山種美術館)などが展示。

そのほか、横山大観が松、玉堂が竹、川端龍子が梅を描いた3人の合作《松竹梅》も披露されている。かつて3人による合同展を見た種二が、同様の趣向の展覧会をしてほしいと願い、昭和30(1955)年から3年にわたり開催されたもので、松竹梅という吉祥画題を、三者三様の画風で愛でることができる、目出度く贅沢な作品だ。

《松竹梅》より(中央)横山大観の松(白砂青松)、(右)川合玉堂の竹(東風)、(左)川端龍子の梅(紫昏図)絹本・彩色 山種美術館
《松竹梅》より(中央)横山大観の松(白砂青松)、(右)川合玉堂の竹(東風)、(左)川端龍子の梅(紫昏図)
絹本・彩色 山種美術館

熊にスケート―意外な作品も展示

第4章の展示風景
第4章の展示風景

第2展示室の第4章では「玉堂のまなざし」として、近しい人や身近な動物を描いた作品、あるいは少し意外なものを題材にした作品など、玉堂のもう1つの魅力に触れる作品が展示されている。

川合玉堂《熊》昭和 21(1946)年 紙本・彩色 玉堂美術館
奥多摩で熊が出没した際、銃殺された熊の亡骸を写生し生きているように描いた。その日が偶然、玉堂の誕生日だったことなどが絵の横に書き添えられている。
川合玉堂《熊》昭和 21(1946)年 紙本・彩色 玉堂美術館
奥多摩で熊が出没した際、銃殺された熊の亡骸を写生し生きているように描いた。
その日が偶然、玉堂の誕生日だったことなどが絵の横に書き添えられている。
(右)川合玉堂《氷上(スケート)》 昭和 28(1953)年 紙本・彩色 山種美術館
(左)川合玉堂《氷上》昭和 28(1953)年頃 紙本・墨書 山種美術館
御岳にスケート場が開場した際、フィギュアスケーター稲田悦子が演技を披露したのを、玉堂は観に行って写生したという。隣には玉堂の一首「もろ手ひろげ かたあしのみを 氷上に リンクせましと 舞ひすべり舞ふ」が並ぶ。
(右)川合玉堂《氷上(スケート)》 昭和 28(1953)年 紙本・彩色 山種美術館
(左)川合玉堂《氷上》昭和 28(1953)年頃 紙本・墨書 山種美術館
御岳にスケート場が開場した際、フィギュアスケーター稲田悦子が演技を披露したのを、玉堂は観に行って写生したという。
隣には玉堂の一首「もろ手ひろげ かたあしのみを 氷上に リンクせましと 舞ひすべり舞ふ」が並ぶ。

玉堂の温かく郷愁溢れる日本の情景を心ゆくまで楽しんだ後は、ロビーの「café椿」で一服の時間を楽しみたい。このカフェでは、毎回展示作品をイメージした和菓子を提供しており、今回も代表作《早乙女》や《石楠花》《荒海》などの作品をイメージした和菓子が、彩り豊かに揃う。山種美術館の鑑賞は、この特製の和菓子を味わうところまでが「鑑賞体験」だ。

展示作品をイメージした特製和菓子(「café椿」にて提供)
「雨きたる」(左上)では、シナモン風味の練切がこしあんとマッチして新鮮な味わい。
展示作品をイメージした特製和菓子(「café椿」にて提供)
「雨きたる」(左上)では、シナモン風味の練切がこしあんとマッチして新鮮な味わい。

開館60周年を記念する特別展第一弾「川合玉堂」展。決して派手な展覧会ではないが、日本が忘れてしまった「日本の情景」は、いつでも私たちを迎え入れてくれる。そんな、なつかしい日本の情景に“里帰り”に来てはいかがだろうか。

美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
山種美術館|The Yamatane Museum of Art
150-0012 東京都渋谷区広尾3-12-36
開館時間:10:00〜17:00
会期中休館日:月曜日、7月21日(火) ※7月20日(月・祝)は開館

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