建築空間と対話しながら発展する彫刻。
森美術館「ロン・ミュエク」展を読み解く
「ロン・ミュエク」展が、森美術館(東京・六本木)で2026年9月23日まで開催

展示風景:「ロン・ミュエク」森美術館(東京)2026 年
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構成・文・写真:森聖加
巨大な頭蓋骨の彫刻の群れ、異様に小さな人体、たるんだ皮膚──。森美術館とカルティエ現代美術財団の共同開催の「ロン・ミュエク」展 は、驚くばかりの写実性だけに注目する展覧会ではない。同展企画者のひとりである、カルティエ現代美術財団キュレーター、キアラ・アグラディ氏が強調したのは、ミュエクの彫刻が建築や展示空間と対話し、発展してきたことだった。現在までの総制作数約50点のうち、11点が並ぶ展覧会。アグラディ氏の解説を手掛かりに、森美術館で体験するロン・ミュエク作品の魅力をひも解く。
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- 「ロン・ミュエク」展
開催美術館:森美術館
開催期間:2026年4月29日(水・祝)〜9月23日(水・祝)
リアルすぎるディテールが生み出す、言い知れない緊張感

ロン・ミュエク(1958年-)の作品を初めて目にする人はだれもが、その驚異的なリアリズム表現に圧倒されるだろう。どこかうつろな目、たるんだ皺、うぶ毛やすね毛に至るまで緻密に再現された人体は、生身の人間そのもののようだ。けれど、いずれの彫刻も縮尺が異様に大きかったり、小さかったりする。

この作品は建築家ジャン・ヌーヴェル設計のパリ、カルティエ現代美術財団の当時のガラス建築が発想の源にあり、外部庭園を眺めるように制作された。森美術館では彼女のための「特大寝室」でまどろむかのよう
オーストラリアで生まれ、現在はイギリスを拠点に活動するロン・ミュエクは、もともと映画や広告業界でモデル造形やパペット制作に携わっていた。つまり、あるものを「本物らしく見せる」技術を極限まで磨いてきた作家だ。美術界へ転身したのち、彼はリアリズム表現を逆説的に利用しはじめた。ミュエクは「人物を等身大でつくることは退屈だ」という。だから、造形はあまりにリアルなのに、サイズだけが異様に巨大、あるいは不思議に小さいという、「スケールのズレ」が鑑賞者に不安な気持ちや緊張感を呼び起こす。
作者は作品について多くを語らない。ただ、声を発することのない彫刻だけがその場所に存在している。私たちはただ作品と向き合うしかない。
ミュエク作品は、建築空間との関係の中でいかに変化してきたのか?
2023年のパリ、カルティエ現代美術財団での開催を皮切りに、ミラノ、ソウルと巡回してきた今回の展覧会を理解するうえで重要な鍵が、同財団のキアラ・アグラディ氏による視点だ。カルティエ現代美術財団は長年にわたりロン・ミュエクと協働してきた。その歴史を振り返りながら語るのは、作品と建築空間との密接な関係だった。

展示風景:「ロン・ミュエク」森美術館(東京)2026年 スタジオでのロン・ミュエク(右)。
写真家・映画監督のゴーティエ・ドゥブロンドによる2本の映像と写真が創作の現場を詳しく伝える
会場には、ミュエクのスタジオや制作過程を記録してきた写真家・映画監督のゴーティエ・ドゥブロンドによる《チキン/マン》《スティル・ライフ:制作中のロン・ミュエク》の2点の映像作品と写真シリーズが展示されている。アグラディ氏は、これら映像で見ることのできる現場に触れながら、ミュエク作品を単なる“人体彫刻”ではなく、空間との関わりの中で捉える必要性を語った。

(ニュージーランド) 展示風景:「ロン・ミュエク」森美術館(東京)2026年 日本初公開
「初期のミュエクはロンドン中心部にスタジオを構えていました。記録写真には、小道具や巨大なパーツが所狭しと積み重なる空間の中で、圧倒的なスケールの彫刻と格闘するミュエクの姿が確認できるでしょう。彼はまず小さな模型をつくり、それを段階的に拡大していく方法をとっていました」
2015年ごろからミュエクはイギリス・ワイト島に大規模なスタジオを構える。高い天井、広々とした空間、自然光に満ちた環境。この時期からデジタル技術を積極的に導入しはじめたが、それは単純な作業の効率化ではなく、「彫刻作品をどのように空間の中へ存在させるか」というアプローチの転換でもあった。彫刻が空間をどのように使い、また空間が彫刻にどのように響き返すのか。彫刻と世界の関係について、作家はより深く思索するようになった、とアグラディ氏は語る。

展示風景:「ロン・ミュエク」森美術館(東京)2026年
パリ、ミラノ、ソウルを経て、東京での《マス》はどうなった?

作家自身の顔を表現した作品
そして、日本初公開で今回の注目作のひとつである《マス》である。たくさんの頭蓋骨の彫刻が並ぶ作品は、世界の各地をめぐるなかで、展示構成が変化してきた。「彼が出会う空間そのもの、そして空間に対する彼自身の反応が、作品の不可欠な要素になっているのです」とアグラディ氏。例えば、ミラノでミュエクは教会や納骨堂を訪れた。特にサン・ベルナルディーノ・アッレ・オッサの納骨堂体験は、《マス》の展示構成に大きく影響を与えたそうだ。納骨堂は壁一面に、何世紀にもわたって集められた人骨が精巧なパターンで配置された、独特の空間である。
ミラノ巡回展会場のパラッツォ・デッラルテは、垂直性と幾何学性を持つ建築だった。納骨堂体験は、頭蓋骨彫刻が生み出す影や密集感、ミラノという街の歴史的文脈の中で、作品が放つ異様な存在感を際立たせた。続くソウルの展示では、低い天井と都市景観とのつながりの強い場所の特性をつかみ、水平性を強めた構成が採用された。

展示風景:「ロン・ミュエク」森美術館(東京)2026年 日本初公開
森美術館は企画展に訪れるたび表情が変わる美術館だ。天井高の異なる展示室がいくつもあり、自然光を感じさせる部屋、都市の景観へ視線が抜ける場所とバラエティに富んでいる。《マス》は、約300㎡という大きな部屋に100個の頭蓋骨彫刻が細心の注意をもって配置された。観客は頭蓋骨の集積を前にして、近づいたり、遠くに眺めたりしながら、身体ごと“彫刻の風景”の中を歩いていくことになる。
ミュエクが近年進化させてきた彫刻と建築環境との関係。そしてカルティエ現代美術財団が長年模索してきた「美術を見せる建築のあり方」という問い。その両者は今回、森美術館という可変性に富んだ展示空間の中で、新たなかたちで結びついている。だからこそ、この展覧会では「何が表現されているか」を理解する前に、まず空間の中を歩いてみることが大切なのかもしれない。
巨大な頭蓋骨の彫刻のあいだを進み、視線を避ける人物たちと向き合い、静かな違和感に身を委ねる。そんな「体験」を意識することで、彫刻が語りかけてくる言葉が輪郭をもって迫ってくることだろう。

展示風景:「ロン・ミュエク」森美術館(東京)2026年 後ろから眺めて。雑踏にいるようなふたりの本当の関係は…