「画鬼」と呼ばれた天才絵師、河鍋暁斎。
ユーモアと驚きに満ちた、暁斎芸術の全貌をひらく
「ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界」が、2026年6月21日までサントリー美術館(東京・赤坂)で開催

イスラエル・ゴールドマン・コレクション【通期展示】
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構成・文・写真:森聖加
幕末から明治にかけて、既成の枠を軽々と飛び越えながら、圧倒的な筆力と奔放なユーモアで人々を魅了した絵師、河鍋暁斎(かわなべ きょうさい/1831-1889)。その多彩な作品世界を紹介する「ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界」がサントリー美術館で開催中だ。暁斎の世界的コレクターである、イスラエル・ゴールドマン氏が集めた作品群は、展示される約6割が日本初出品。代表作から近年発見されコレクションに加わった作品までを披露し、変幻自在の絵師の魅力に迫る。
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- ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界
開催美術館:サントリー美術館
開催期間:2026年4月22日(水)〜2026年6月21日(日)
※会期中展示替えあり
即興の天才、そして“画鬼”と呼ばれた男
イギリスを拠点に浮世絵や江戸絵画を扱う美術商、イスラエル・ゴールドマン氏の人生を変えた出会いは、1980年初頭にさかのぼる。河鍋暁斎作品のなかでも極めて重要な肉筆画をわずか55ポンドで落札したときからだ。圧倒的なオーラを放つ一幅に魅了された氏は、当時あまり評価の高くなかった天才絵師、暁斎の作品を生涯にわたり蒐集することを決意する。本展「ゴールドマン コレクション 河鍋暁斎の世界」には、間もなく1000点を超えようとするコレクションから選りすぐりの約110点が並ぶ。

いずれも明治4〜22(1871-1889)年【通期展示】
暁斎はそのずば抜けた才能から、「画鬼(がき)」と呼ばれた。7歳で浮世絵師の歌川国芳(うたがわ くによし)に入門、10歳からは狩野派に学んで修業を積んだ。その画風は狩野派などに代表される正統的な本画(ほんが)から、人前で即興的に描いた席画まで、その両極を自在に往復。また、画題自体も人物から動物、空想上の生き物に至るまで、バラエティに富んでいる。「人と異なること」を強く志向した暁斎の生き方、絵に対する姿勢をさまざまな視点から読み解こうとするのが今回の展覧会だ。
展示は「第1章 ゴールドマン・コレクションのスターたち」からスタート。画業のハイライトともいえる作品で一気に引きつける。展覧会冒頭で強い存在感を放つのは、《書画会図(しょがかいず)》である。「書画会」は幕末から明治にかけて流行し、入場料を払えば、その場で絵師や書家に絵を制作してもらえた、一種のライブイベント。暁斎の真骨頂は、得意の早描きを活かした即興性にある。《書画会図》では、まず暁斎が全体図を描いたあとに、54人もの書家と絵師がそれぞれ小さな作品を描き込んだ。よく見ると、そこには作家本人の姿もあり、当時の熱狂的な文化空間そのものが手にとるようにわかる逸品なのだ。

イスラエル・ゴールドマン・コレクション【通期展示】
さらに進むと、《地獄太夫と一休》が現れる。伝説の遊女、地獄太夫(じごくたゆう)とアニメでもおなじみの禅僧、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)を描いたものだ。入念に準備された完成作である「本画」と、滑稽味や風刺を扱う「戯画(狂画/きょうが)」。戯画は従来、席画として即興的に描かれることが多かったが、本来は大きく異なる両者の境界を、暁斎は軽々と飛び越えてみせる。つまり、堂々たる本画の形式のなかに、戯画的精神を大胆に持ち込み、独自の画風を切り開いた。古典を深く理解していたからこそ伝統の内側から自在に逸脱できた、とゴールドマン・コレクションのキュレーターで本展監修者である定村来人(さだむらこと)氏は説明する。

イスラエル・ゴールドマン・コレクション【通期展示】
カエル、カラス、猫――動物たちに映る人間社会
第2章からは、テーマごとの展示が進む。第2章「けもの」では、ゴールドマン氏自身が動物画を愛好していることもあり、ときにリアルに、ときにユーモラスな表情を見せる動物たちを描いた名品が並ぶ。とりわけ重要な画題は、鴉(からす)と蛙(かえる)だ。
鴉は、1881(明治14)年の第二回内国勧業博覧会に出品された作品が高く評価され、暁斎の名声を決定づけた題材だった。展示では、《枯木に夜鴉》(こぼくによがらす)や《枯木に鴉》など複数の作品が見られる。一方、蛙はさらに古く、幼少期の暁斎が最初に写生した対象とも伝えられている。

ともに明治4~22(1871-89)年 イスラエル・ゴールドマン・コレクション【通期展示】
興味深いのは、暁斎が蛙を単なる動物として描いていないこと。文明開化の東京を新しい時代の到来を象徴する人力車や電信柱といった要素と並べて、蛙たちの姿で描いているのだ。そこには庶民の滑稽さや逞しさ、ときに哀感さえ重なる。蛙戯画には、国宝の《鳥獣人物戯画》(ちょうじゅうじんぶつぎが/高山寺蔵)に連なる日本的ユーモアの系譜も見てとることができる、と定村氏は指摘。暁斎は古典的な戯画さえも自在に扱い、その系譜を当時の新しい感覚で更新してみせた。
猫好きとして知られる師匠、歌川国芳の系譜を受け継ぎ、暁斎もまた数多くの猫を描いた。石灯籠の上で踊る《猫又図》は、本展の見どころのひとつだ。尻尾が二股に分かれた猫は、人間のような仕草を見せる。「夜中に猫はこんなことをしているんじゃないか」、そんな猫好き暁斎の空想がゆかいな絵を生みだした。「けもの」たちは、人間社会をうつす縮図であり、そして絵画実験の舞台でもあった。
酔っても無双。骸骨、鬼――暁斎という異才
続く第3章「ひと」や第4章「おに」の章に入ると、暁斎という人物そのものが浮かび上がってくる。なかでも圧巻なのが、豊臣秀吉の家臣、加藤清正の朝鮮出兵の際の逸話を描いた《加藤清正の虎退治》である。この双幅は、なんと展覧会がはじまる直前にゴールドマン氏が入手したもので、極めて状態がいい。隣に並ぶ《牛若丸と僧正坊》とともに浮世絵で好まれたダイナミックな画題を肉筆画として徹底的に描き込む試みは、流派のあいだの壁を取り除くことを意識的に行っていた暁斎の思想の表れ、という。

イスラエル・ゴールドマン・コレクション【通期展示】
対照的に、月夜に骸骨たちが酒宴を開き踊る《月下骸骨宴会図》は、別の顔を見せる作品。これは、畳に紙をさっと広げて、酔ったその場の勢いのまま即興的に描いたものという。奔放な筆致とは裏腹に、骸骨の骨格描写は驚くほど正確なのは、暁斎が西洋解剖学にも関心を持ち、人体構造への深い理解があったから。一方で、扇や三味線、酒の肴に至るまで骸骨尽くしという遊び心も忘れてはいない。

イスラエル・ゴールドマン・コレクション【通期展示】
絵に対する情熱ゆえに、「餓鬼(がき)」にかけて狩野派の師から「画鬼」とあだ名された暁斎。酒好きで破天荒、そして常人離れした絵の才能をもつ暁斎は、この呼び名を気に入っていたらしく、自らを「おに」と重ねて描いてみせた。《巻子の前にかしずく鬼》はそんな一例。師の国芳ほか、過去の作品とまみえるときには必ず一礼をしていたという話も伝わることから、絵を敬う自分自身の姿を描いているのだろうと解釈されている。

イスラエル・ゴールドマン・コレクション【通期展示】

イスラエル・ゴールドマン・コレクション【通期展示】※場面替えあり
「かみ・ほとけ」さえ人間くさい
第5章「かみ・ほとけ」では、信仰の対象としての神仏を描いた作品が集まる。しかし、ここでも一筋縄ではいかない。七福神や達磨(だるま)、鍾馗(しょうき)など、本来なら威厳をもって描かれるべき存在が、どこか人間的な様子で描かれている。とりわけ朱一色で描かれた《鍾馗騎象図》は強烈だ。伝統的な絵では虎やロバに乗る鍾馗をゾウに乗せ、病除け、疫病退散の意味を持つ朱色を全面に使った。

酒の神様「猩々(しょうじょう)」もまた、酒好きの暁斎が好んで描いた題材。赤い髪の毛がかわいらしい《猩々図》もまた泥酔状態で描かれたとみられる。上部に暁斎自身の賛が添えられ、いわく、「粕のからだは画のつぼみ耶 けふ(今日)もさけさけ 明日も酒酒」。――酒粕にどっぷり浸かった体から絵のつぼみ(新たな創造の源)が生まれるだろうかと、自らの姿をユーモアたっぷりに描いたのだ。
最後の第6章「版画の名品」では、浮世絵商でもあるゴールドマン氏ならではの審美眼で、常に良い作品を求めて、更新が重ねられてきたコレクションの神髄をみせる。摺りの状態が極めて良いもの、初摺に近い希少な作品も多く、同じ図柄でもこれまで見たものと印象が大きく変わるのを実感できるのが、ゴールドマン・コレクションの大きな特徴だ。

イスラエル・ゴールドマン・コレクション【前期展示】
たとえば《風流蛙大合戦之図》は暁斎の代表作のひとつだが、ゴールドマン氏が近年新たに入手した優品を展示する。作品は1864年の「禁門の変」を風刺的に描いたもので、右下の蛙たちの陣には会津藩を示す六つ葵紋(むつあおいのもん)が見られる。一方、左上の沢瀉紋(おもだかもん)は長州藩。当時は検閲が厳しく、政治的事件を直接描くことは禁止されていたため、暁斎や版元は偽名を用いて実際の戦を「蛙の合戦」に置き換えて表現した。
河鍋暁斎という絵師は、単なる奇才や“狂気の人”ではない。そこにあるのは、驚異的な筆力と尽きることのないサービス精神、そして時代や人間社会、自分自身さえも面白がる視線だ。その奔放さと凄みは150年以上を経た今なお、生々しい熱を帯びて迫ってくる。