世界最高の名品に触れる5月のニューヨーク。
伝説のコレクターの所蔵作品から美術館の至宝まで
アートフェアから始まる、都市とアートの旅へ|ニューヨーク・アートウィーク【後編】

構成・文:藤野淑恵
5月のニューヨーク・アートウィークはアートフェアとギャラリーだけでは語れない。オークション・ハウスでは史上屈指の名品がハンマーを待ち、美術館ではシーズン最大の展覧会が開催されている。前編 では、フリーズ・ニューヨークとTEFAFニューヨークという二つの国際アートフェア、そしてチェルシーのメガギャラリーを中心にニューヨーク・アートウィークの全体像を描いた。後編では、同じ時期にアートマーケットの頂点で繰り広げられるオークションと、常設コレクションだけでも一日を費やせる美術館に焦点を当てる。引き続きニューヨーク・アートウィークを巡る。
ニューヨーク・アートウィーク2026 INDEX
サザビーズ|Sotheby's
クリスティーズ|Christie's
フィリップス|Phillips
ニューヨーク近代美術館|The Museum of Modern Art(MoMA)
ホイットニー美術館|Whitney Museum of American Art
グッゲンハイム美術館|Solomon R. Guggenheim Museum
メトロポリタン美術館|The Metropolitan Museum of Art(MET)
フリック・コレクション|The Frick Collection
一年で最も注目を集めるオークション・シーズン
—— 5月のニューヨーク、春のマーキー・セールズ
ニューヨークのアート界において、5月と11月は特別な意味を持つ。世界三大オークション・ハウスのサザビーズ(Sotheby's)、クリスティーズ(Christie's)、フィリップス(Phillips)が「マーキー・セールズ(marquee sales)」と呼ぶ年に2回の最重要セールが集中するのがこの時期だ。美術館レベルのトロフィー作品や、世界的なコレクターの秘蔵品が競売にかけられ、落札結果がその年のアート・マーケットの動向を左右する。2026年の春はとりわけ歴史的なシーズンで、ニューヨークのアート界を長年支えた伝説的なコレクターや、ギャラリスト、ディーラーたちのコレクションが相次いで競売にかけられる。

右奥はイサム・ノグチ作品 © 2025 The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum, New York / Artists Rights Society (ARS), New York Courtesy Sotheby's
オークション・ハウスは、決して敷居が高い場所ではない。セール本番に先立つ数日間、出品作品を一堂に展示するプレビュー展が無料で一般公開される。オークションによっては要予約の場合もあるが、美術館クラスの名品をガラスケースなしで間近に見られる、またとない機会だ。アートファンがニューヨークを訪れる際には、ぜひ立ち寄りたい場所のひとつだ。また現在ではセール当日のライブ配信も行われており、現地に赴かなくとも、世界中からリアルタイムで競売の現場を体験できる。日本時間では早朝6〜8時台に相当するが、オークショニアがハンマーを叩く瞬間の緊張感は画面越しにも十分に伝わってくる。
アッパーイーストサイドのブロイヤー・ビルが新たな拠点。
サザビーズ「The New York Sales」

マディソン・アベニュー945番地——アッパー・イースト・サイドのこの住所は、ニューヨークのアート好きなら誰もが記憶している場所だ。1966年にバウハウスで学び20世紀建築を代表するハンガリー出身の建築家マルセル・ブロイヤー(Marcel Breuer)が設計したこの建物は、ホイットニー美術館の本拠として長年親しまれてきた。ホイットニー美術館が2015年にハイライン南端のゲンスフォート・ストリートへ移転した後は、メトロポリタン美術館が「メット・ブロイヤー(The Met Breuer)」として2020年まで現代美術の企画展会場として活用。その後フリック・コレクションが約5年に及ぶ改修工事のための閉館期間中、「フリック・マディソン(Frick Madison)」として仮の展示拠点に使用した。

サザビーズは2023年にこの建物を約1億ドルで取得。テート・モダンやプラダ青山の設計で知られるスイスの建築事務所ヘルツォーク&ド・ムーロン(Herzog & de Meuron)が改修設計を担当し、2025年11月8日に新たなグローバル本拠として開業した。ニューヨークのアート史が幾重にも積み重なったこのビルで、サザビーズの春のマーキー・セールズが開催される。
サザビーズの2026年春の「The New York Sales」は5月14日から20日にかけて開催される。シーズンの幕を開けるのは、伝説的なコレクター兼ディーラー、ロバート・ムニューシンのコレクションだ。ゴールドマン・サックスの元パートナーにして、マンハッタンのムニューシン・ギャラリー(Mnuchin Gallery)を主宰したムニューシンは、2025年12月に92歳で逝去。マーク・ロスコ、抽象表現主義を代表するアメリカの画家フランツ・クライン(Franz Kline)、ジェフ・クーンズら、妻アドリアーナと共に「心から愛した」作品を自邸に飾り続けた生涯のコレクションが、没後わずか5ヶ月で競売にかけられた。現地時間5月14日夜に開催された「Robert Mnuchin: Collector at Heart」イブニングオークションはホワイト・グローブ・セール(100%完売)を達成し、総額1億6,630万ドルという結果を残す。24カ国から入札が集まるなか、筆頭のロスコ《Brown and Blacks in Reds》(1957年)は推定(7,000万〜1億ドル)を超える8,580万ドルで落札され、ロスコ作品として史上2番目の高値を記録した。

続いて開催されたコンテンポラリー・イブニングオークション「The Now & Contemporary Evening Auction」も総額2億6,680万ドル(昨年5月比110%増)という際立った結果を残した。注目のジャン=ミシェル・バスキアの1983年作《Museum Security (Broadway Meltdown)》は、推定価格を上回る5,270万ドルで落札された。1983年にラリー・ガゴシアン・ギャラリー(ロサンゼルス)での歴史的な個展でデビューしたこの作品は、バスキアの視覚的言語が頂点に達した時期の傑作とされるものだ。また、アンディ・ウォーホルによるブリジット・バルドーの肖像は、ドイツ人の大富豪のグンター・ザックスが自身の妻バルドーのために依頼した作品で、ザックスのコレクションから出品。こちらも推定価格(1,400万〜1,800万ドル)を大幅に上回る2,480万ドルで同シリーズの記録を更新した。

アジアからの入札の存在感とアジア人アーティストの躍進にも注目したい。昨年のオークションでも注目された西村有の作品《Leaves carpet》は推定(12万〜18万ドル)の約5.5倍にあたる約100万ドルで落札され、アーティスト・レコードを更新した。現在デイヴィッド・ツヴィルナーのウォーカー・ストリート・スペースでは、西村を中心とした日本人アーティストによるグループ展「Statics of an Egg」(〜6月27日)が開催中で、オークション結果と展覧会での存在感が同時に高まる。また中国人アーティストの丁世倫(Ding Shilun)は推定(5万〜7万ドル)の5倍以上となる35万8,400ドルでニューヨークでの本格的なオークション・デビューを飾った。デイヴィッド・ホックニーとアンディ・ウォーホルの作品がアジアのコレクターへ落札されるなど、アジア市場の存在感がひときわ際立つ幕開けとなった。

来る5月19日に開催されるモダン・イブニング・オークションでは、ゴッホ《La Moisson en Provence》(1888年、推定2,500万〜3,500万ドル)、マティス、ボナール、カンディンスキーら19世紀後半から20世紀モダニズムを代表する名品が一堂に会する。中でも最大の注目を集める筆頭ロットが、エンリコ&アデーレ・ドナティ・コレクションより出品されるピカソ《Arlequin(Buste)》(1909年、推定4,000万ドル)だ。

イタリア出身の画家エンリコ・ドナティは、戦後ニューヨークでマルセル・デュシャン、マックス・エルンスト、アンドレ・ブルトンらシュルレアリスム周辺の芸術家・知識人たちと交流した人物であり、夫妻が長年築いたコレクションは20世紀モダニズムの内部から形成された重要なプライベート・コレクションとして知られる。《Arlequin(Buste)》は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)所蔵《アヴィニヨンの娘たち》(1907年)の2年後に制作されたもので、ピカソがキュビスムを本格的に展開し始めた時期を象徴する重要作だ。2000年代に一度市場への登場が予定されながら実現に至らず、本格的に市場へ現れるのは今回が初めてに近い。このレベルの1909年作品が市場に登場する機会は極めて稀であり、長く個人蔵に留められてきた重要作として大きな関心を集めている。
- オークション情報|アメリカ・ニューヨーク
「Robert Mnuchin: Collector at Heart」イブニング・オークション:
5月14日(木)午後6時(日本時間5月15日午前7時)
「The Now & Contemporary Evening Auction」:
5月14日(木)午後7時(日本時間5月15日午前8時)
「Modern Evening Auction」:
5月19日(火)午後7時(日本時間5月20日午前8時)
- オークションハウス情報|アメリカ・ニューヨーク
Sotheby's(サザビーズ)
945 Madison Avenue, New York, NY 10021
https://www.sothebys.com/
オークション史に刻まれる一夜に。
—— クリスティーズ「20世紀/21世紀 スプリング・マーキー・ウィーク」

クリスティーズはこの地に本拠地を置く。Courtesy Christie's
ミッドタウン・マンハッタン、5番街沿いに広がるロックフェラーセンターは、1930年代に建設されたニューヨークを代表する複合施設だ。毎年冬に行われる巨大クリスマスツリーの点灯式で世界的に知られるこの場所が、クリスティーズのニューヨークの本拠地だ。2026年の5月18日から22日にかけて、「20世紀/21世紀 スプリング・マーキー・ウィーク(20/21 Spring Marquee Week)」を開催する。20〜21世紀アートを対象とした春の最重要オークション・ウィークで、9セールの合計推定額は10億ドル超え。史上屈指の規模となると予想されている。

最大の注目は、「サイ・ニューハウス・コレクション」の16点が登場する「Masterpieces: The Private Collection of S.I. Newhouse」。コンデナスト出版の総帥にして20世紀アメリカ最大のコレクターのひとりだったサイ・ニューハウス(Samuel Irving Newhouse Jr.)は2017年に逝去。妻ヴィクトリアによる段階的な遺産放出の第3弾となる今回の最大の話題は、ジャクソン・ポロックの《Number 7A, 1948》(推定約1億ドル)。これは、オークション史上初出品される大型ドリップ・ペインティングという記念碑的な一点という。他にも20世紀彫刻の革命的先駆者、ルーマニア出身のコンスタンティン・ブランクーシ(Constantin Brâncuși)の《Danaïde》(1913年頃、推定約1億ドル)などが並ぶ。
一人のコレクターが生涯をかけて築いたコレクションを一括して競売にかける「シングルオーナー・セール」は、作品の出所(プロヴェナンス)が明確なことから、コレクターやギャラリー、美術館関係者が世界から集まる特別なセールだ。16点の推定総額は約4億5000万ドル。シングルオーナー・セールとして史上2番目となる10億ドル超も視野に入るという。ちなみに史上1位はマイクロソフト共同創業者ポール・G・アレンのコレクションで、2022年にクリスティーズで15億ドルを達成している。

サイ・ニューハウス・コレクションより。Courtesy Christie's
5月20日のイブニング・オークション、「Marian's Richters & 21st Century Evening Sale」 では、著名ギャラリスト、マリアン・グッドマンのコレクションから放出されるゲルハルト・リヒター《Kerze(Candle)》(1982年、推定3500〜5000万ドル)が注目を集める。1977年にニューヨーク57丁目に開廊したマリアン・グッドマン・ギャラリー(Marian Goodman Gallery)は、60年にわたるマリアンのキャリアを通じて、ゲルハルト・リヒター、アンゼルム・キーファー、ヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys)らヨーロッパの前衛作家をアメリカに初めて紹介し、現代美術の地図を塗り替えたギャラリー。2026年1月22日に97歳で逝去し、リヒターと35年以上にわたる関係を築いたギャラリストが手元に置き続けた作品が、没後4ヶ月で市場へ出る。

同じく20日の「Defined Space: The Collection of Henry S. McNeil, Jr.」では、アメリカのミニマリズム彫刻を牽引したドナルド・ジャッド(Donald Judd、推定1000〜1500万ドル)、ダン・フレイヴィン(Dan Flavin)、カール・アンドレ(Carl Andre)、ソル・ルウィット(Sol LeWitt)が揃う「現存する最高のミニマリズム個人コレクション」が一挙に公開される。コレクターのヘンリー・S・マクニール・ジュニアは解熱鎮痛薬タイレノールで知られるマクニール製薬一族の出身で、フィラデルフィアの5階建てタウンハウスにジャッド、フレイヴィン、ルウィットらの作品を生活空間と融合させながら数十年かけて収集した。日常の中に置かれたミニマリズムの名品という、ミュージアムとは異なる収集のあり方でも知られた。セールに先立ち、東京・丸の内のクリスティーズ・ジャパンでもジャッドや、糸や紐で空間を彫刻するミニマリズムの作家フレッド・サンドバック(Fred Sandback)の作品が展示され、日本にいながら名品を間近で体感できる機会が設けられた。

- オークションハウス情報|アメリカ・ニューヨーク
20 Rockefeller Plaza, New York, NY 10020
https://www.christies.com/
オークション情報|アメリカ・ニューヨーク
「Masterpieces: The Private Collection of S.I. Newhouse」
+「20th Century Evening Sale」
5月18日(月)午後6時・7時(日本時間5月19日午前7時・8時)
「Defined Space: The Collection of Henry S. McNeil, Jr.」
+「Marian's Richters & 21st Century Evening Sale」
5月20日(水)午後6時・7時(日本時間5月21日午前7時・8時)
20・21世紀アートに絞った視点
—— フィリップス「Modern & Contemporary Art Evening Sale」

サザビーズ、クリスティーズと並ぶオークション・ハウス、フィリップス(Phillips)も5月19日にイブニングセールを開催する。20〜21世紀のモダン&コンテンポラリー・アートに特化したフィリップスの今年の春季セールは、総額8,700万ドル超の落札を見込み、昨年同時期の約2倍となる規模という。筆頭はアンディ・ウォーホルの《Sixteen Jackies》(1964年、推定1,500万〜2,000万ドル)。ジャクリーン・ケネディの肖像を執拗に反復することでイメージのアイコン化を問う本作は、ウォーホルの「引用と反復」という核心を鮮烈に示す傑作だ。

クロード・モネ《La route de Vetheuil, effet de neige》(1879年、推定700万〜1,000万ドル)、ゲルハルト・リヒター《Besen》(1984年、推定650万〜850万ドル)、抽象表現主義第二世代を代表するアメリカの画家ジョアン・ミッチェル(Joan Mitchell)の《Plain》(1989年、推定500万〜700万ドル)と名品が続く。
- オークションハウス情報|アメリカ・ニューヨーク
Phillips(フィリップス)
432 Park Avenue, New York, NY 10022
https://www.phillips.com/
オークション情報|アメリカ・ニューヨーク
「Modern & Contemporary Art Evening Sale」
5月19日(月)午後5時(日本時間 5月20日午前6時)
https://www.phillips.com/auction/NY010326
「Modern & Contemporary Art: Morning Session」
5月21日(水)午前10時(日本時間 5月21日午後11時)
https://www.phillips.com/auction/NY010426
「Modern & Contemporary Art: Afternoon Session」
5月21日(水)午後2時(日本時間 5月22日午前3時)
https://www.phillips.com/auction/NY010526
美術館では注目の展覧会が開催中
—— ミッドタウンからアッパー・イースト・サイドへ
ニューヨークには、世界最高水準の美術館と作品が密集している。MoMAにはゴッホの《星月夜》、ピカソの《アヴィニョンの娘たち》、マティスの《ダンス》、ポロックの大型抽象絵画が常設コレクションとして揃い、グッゲンハイムにはカンディンスキーやクレーの名品が螺旋の空間を彩る。ホイットニー美術館ではホッパーやカルダーのアメリカ美術が体験できる。メトロポリタン美術館(MET)はエジプト、ギリシャ・ローマから印象派まで5000年の人類の美術を網羅し、フリック・コレクションではフェルメール、レンブラントが邸宅の内装ごと体験できる。いずれも常設コレクションだけで一日を費やせる充実ぶりだ。そのうえでニューヨーク・アートウィークの時期には、各館がシーズン最大の企画展を開催中だ。ここでは今年のアートウィークと特に関連性の深い展覧会をピックアップして紹介する。

ニューヨーク近代美術館(MoMA)|The Museum of Modern Art

「マルセル・デュシャン / Marcel Duchamp」(2026年4月12日〜8月22日)
世界中のアートファンがニューヨークを目指す理由のひとつは、MoMAにあるといっても過言ではない。印象派の傑作から抽象表現主義、ポップ・アートの名品まで——近現代美術の核心をなす作品が一堂に会する場所がMoMA、ニューヨーク近代美術館だ。1929年に設立された世界初の近代美術専門美術館として、印象派以降の絵画・彫刻のみならず建築・デザイン・映画・写真・パフォーマンスまでを収蔵対象とする横断的な視点は、美術館の在り方そのものを塗り替えた。

MoMAが北米で半世紀以上ぶりに開催するデュシャンの大規模回顧展は、約300点の作品を通じて1900年から1968年にわたる6つの創作期を横断する。初期のキュビスムの傑作《階段を降りる裸体、No.2》(1912年)から、「最も重要なアイデア」とデュシャン自身が語ったレディメイドの発明、レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》の複製に鉛筆で髭を描き加えた《LHOOQ》(1919年)、そして「携帯可能な美術館」として自身の全作品を箱に収めた《ヴァリーズの箱(Box in a Valise)》(1935〜41年)の史上最大規模の展示まで、20世紀美術の概念そのものを塗り替えた作家の全貌を俯瞰する。
この展覧会はMoMAとフィラデルフィア美術館の共同企画で、その後パリ・グラン・パレへも巡回する。ガゴシアンが同時期にマディソン・アベニューの新スペースでデュシャン展を開催していることも、アートウィークならではの重なりとなる。
- 美術館情報|アメリカ・ニューヨーク
The Museum of Modern Art(MoMA/ニューヨーク近代美術館)
11 West 53rd Street, New York, NY 10019
https://www.moma.org/
ホイットニー美術館|Whitney Museum of American Art

Photo: Max Touhey Courtesy Whitney Museum of American Art
アメリカの富豪で彫刻家でもあったガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニーが1931年に設立したホイットニー美術館は、アメリカ人アーティストの作品のみを専門に扱う唯一の主要美術館として知られる。MoMAやメトロポリタンがヨーロッパ近代美術を中心に収集を始めた時代に、ホイットニーは意図的に「存命のアメリカ人作家」に焦点を当て続けた。エドワード・ホッパー、ジョージア・オキーフ、アレクサンダー・カルダーらを早期から支持し、アメリカ美術の正史を形成してきた機関だ。現在はサザビーズの拠点となったアッパー・イースト・サイドのブロイヤー・ビルを拠点としたが、2015年にゲンスフォート・ストリートに移転。現在の建物はレンゾ・ピアノ設計の建築で、ハイライン南端のすぐそばに位置する。
ホイットニー・ビエンナーレは1932年に始まった、2年に一度開催されるアメリカ現代美術の最重要展とされる。「いま最も注目すべきアメリカのアーティスト」を毎回異なるキュレーターが選出し、作家の知名度や市場価値にとらわれない選考で知られる。ウォーホル、バスキア、シンディ・シャーマン、人種・ジェンダー・歴史を大型シルエット作品で問うアフリカ系アメリカ人の作家カラ・ウォーカー(Kara Walker)といった後に時代を代表することになる作家たちが、このビエンナーレで初めて大きな注目を集めた。約100年の歴史を持つ「アメリカのアートの体温計」ともいえる展覧会であり、毎回批評家の間で激しい議論を呼ぶことでも知られている。

撮影:Darian DiCanno/BFA.com © BFA 2026
2026年の第82回ビエンナーレには56組のアーティスト・デュオ・コレクティブが参加。今年のビエンナーレが問いかけるのは「アメリカ的であること」の意味だ。なかでも注目は、5階屋外テラスを舞台にしたヒュンダイ・テラス・コミッションとして制作されたケリー・アカシの《Monument (Altadena)》(2026年)。2025年のロサンゼルス山火事で自宅とスタジオを失ったアカシが、焼け残った煙突をガラスブロックで再建した彫刻インスタレーション、スチールレリーフ、屋外スクリーンアニメーションを組み合わせたサイトスペシフィックな作品で、喪失と再生をめぐる問いを提示する。

- 美術館情報|アメリカ・ニューヨーク
Whitney Museum of American Art(ホイットニー美術館)
99 Gansevoort Street, New York, NY 10014
https://whitney.org/
グッゲンハイム美術館|Solomon R. Guggenheim Museum

Photo: David Heald © Solomon R. Guggenheim Foundation
ミュージアム・マイルの一角、アッパー・イースト・サイドの5番街89丁目に現れる白い螺旋建築——フランク・ロイド・ライトが設計し1959年に開館したこの建物は、それ自体が20世紀建築の傑作として世界中の人々に記憶されている。鉱山業で財をなしたソロモン・R・グッゲンハイムのコレクションを基盤に、カンディンスキー、クレー、シャガールをはじめとする近代美術の重要作を収蔵。現在は近現代美術全般にわたる企画展でも知られ、ヴェネチア(ペギー・グッゲンハイム)、ビルバオ、アブダビにも姉妹館を展開する国際的な財団だ。連続するスロープを上りながら作品と向き合うという体験は、グッゲンハイムでしか味わえない。

Photo: David Heald © Solomon R. Guggenheim Foundation, New York
アートウィーク期間は、ジュネーヴ生まれのニューヨーク在住作家、キャロル・ボーヴェ(Carol Bove)の過去最大規模の展覧会を開催。グッゲンハイムの象徴的な展示スペースを舞台に、初期の繊細なドローイングから工業金属を用いた大型彫刻の新作まで、作家の変遷を辿る。ボーヴェはミニマリズムとコンセプチュアル・アートの交差点に立ちながら、素材と空間の関係を独自のやり方で問い続けてきた。フランク・ロイド・ライト建築特集のの連続するスロープに沿いながら作品と向き合う体験は、美術館そのものを作品化するグッゲンハイム固有の体験となるだろう。

© Carol Bove Studio LLC Photo: Maris Hutchinson/EPW Studio
- 美術館情報|アメリカ・ニューヨーク
Solomon R. Guggenheim Museum(グッゲンハイム美術館)
1071 Fifth Avenue, New York, NY 10128
https://www.guggenheim.org/
メトロポリタン美術館|The Metropolitan Museum of Art

「MET(メット)」の愛称で親しまれるメトロポリタン美術館は、1870年創設、収蔵品数200万点以上を誇る北米最大の美術館だ。エジプトのデンドゥール神殿から印象派の傑作群、武器・甲冑、アフリカ美術まで、人類5000年の美術が凝縮されている。5番街とセントラルパークに面した壮大な建物もまた、ニューヨークの風景の一部だ。常設コレクションは膨大で、すべてを見ようとすれば数日を要する。ニューヨーク在住のアートファンでさえ、繰り返し訪れるたびに新たな発見があるという。

アートウィーク期間に開催中の「ラファエロ:崇高なる詩」は、アメリカで初めて開催されるラファエロの全貌に迫る大規模展だ。ウルビーノからフィレンツェ、そしてローマ教皇庁での晩年まで、37年の生涯全体を横断する約200点以上の作品が集結する。ルーヴル美術館、ウフィツィ美術館、ヴァチカン美術館、プラド美術館など世界の名だたる機関からの貸出作品が一堂に会するという、希少な展覧会だ。

一方、5月10日には「コスチューム・アート(Costume Art)」が開幕した。コンデ・M・ナスト・ギャラリー(Condé M. Nast Galleries)の開幕を飾るこの展覧会は、服飾と美術作品を対話させながら衣服と身体の不可分な関係を探り、ファッションをひとつの芸術表現として捉え直す試み。メットが所蔵する服飾作品と美術品を組み合わせた約400点が出品される。アートウィークに先立つ5月4日には、ビヨンセ、ニコール・キッドマン、ヴィーナス・ウィリアムズを共同議長に迎えたメット・ガラが開催され、この展覧会の開幕を華やかに祝った。
アートウィーク期間中の5月14日には、METが2028年にミュージアム・マイルの一角に位置するノイエ・ギャラリー(Neue Galerie New York)と合併するという大きなニュースが発表された。グスタフ・クリムトの《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像I》をはじめ、エゴン・シーレ、オスカー・ココシュカら20世紀初頭のオーストリア・ドイツ美術を専門とするノイエ・ギャラリーは、創設者ロナルド・S・ロウダーが25年にわたって築いた「ヨーロッパ以外では最も重要な20世紀初頭のオーストリアおよびドイツ美術のコレクション」として知られる。合併後は「The Met Ronald S. Lauder Neue Galerie」として運営が継続される予定という。美術館としての規模と役割をさらに拡大し続けるMETの動向は、ニューヨークのアート界全体に影響を与え続けている。
- 美術館情報|アメリカ・ニューヨーク
The Metropolitan Museum of Art(メトロポリタン美術館)
1000 Fifth Avenue, New York, NY 10028
https://www.metmuseum.org/
フリック・コレクション|The Frick Collection

美術館というより、邸宅に招かれてアート・コレクションを鑑賞する感覚——それがフリック・コレクションの最大の魅力だ。コーク・鉄鋼業で財をなしたヘンリー・クレイ・フリックが1914年に建てた邸宅をそのまま公開したこの美術館では、レンブラント、フェルメール、ターナー、エル・グレコといった15〜19世紀ヨーロッパ絵画の至高の名品が、フリック本人が暮らした部屋の内装とともに展示されている。コレクターが「自分のために選んだ」作品の質と密度は圧倒的で、大型の企画展ではなく恒久コレクションの親密な展示にこそこの場所の本質がある。

フリックが所蔵するフェルメール作品は《士官と笑う女(Officer and Laughing Girl)》《中断された音楽の稽古(Girl Interrupted at Her Music)》《女主人と召使(Mistress and Maid)》の3点で、現存するフェルメールの真作約34点のうちの3点にあたる。3点はすべて常設展示されており、5番街を11ブロック北に歩いたメトロポリタン美術館にはさらに5点(世界最多)が常設されている。アッパー・イースト・サイドを歩くだけで、現存するフェルメール真作約34点のうち8点に出会えるのだ。

2025年4月17日、約5年の閉館を経てニューヨークを拠点に美術館・ギャラリーの改修で国際的に知られる建築家アネベル・セルドルフ(Annabelle Selldorf)による改修(工費2億2000万ドル)を終えリニューアルオープン。1935年の開館以来最大の改修で、展示面積が30%拡大し、初めて2階が一般公開された。リニューアル開幕を飾った特別展「フェルメールの恋文」(2025年6月〜8月)では、所蔵の《女主人と召使》にアムステルダム国立美術館(Rijksmuseum)とアイルランド国立美術館(National Gallery of Ireland, Dublin)からの借用2点を加えた計3点が「手紙」をテーマに一堂に会し、世界のアートファンの注目を集めた。
現在は「ゲインズバラ:肖像画のファッション / Gainsborough: The Fashion of Portraiture」(〜5月25日)を開催中。18世紀イギリスを代表する肖像画家トマス・ゲインズバラ(1727〜1788年)の作品を通じて、衣服とファッションが社会的地位や自己表現を映し出す鏡であったことを浮き彫りにする展覧会では、英国・欧州各地の美術館から集めた25点が出品されている。セントラルパーク沿いのフリックの館に身を置くひとときは、ニューヨーク滞在の記憶に刻まれるだろう。
- 美術館情報|アメリカ・ニューヨーク
The Frick Collection(フリック・コレクション)
1 East 70th Street, New York, NY 10021
https://www.frick.org/
フリーズ・ニューヨークとTEFAFニューヨークが熱気をまとうハドソン・ヤーズとアッパー・イースト・サイド、サザビーズとクリスティーズが史上屈指の名品をかけて競うブロイヤー・ビルとロックフェラーセンター、そしてホイットニー美術館からミッドタウンのMoMA、5番街沿いのミュージアム・マイルへ——5月のニューヨークは、アートフェア、オークション、美術館という三つの軸が密接に絡み合いながら、街全体がひとつの巨大なアート空間になる。
しかしニューヨークのアート巡りはここで終わらない。今回は紹介できなかった、メトロポリタン美術館の分館でマンハッタン最北端に位置する中世美術専門のクロイスターズ(The Cloisters)、実験的な現代美術や若手作家の紹介で知られるクイーンズのニューヨーク近代美術館の分館のMoMA PS1、同じくクイーンズのイサム・ノグチ設計のノグチ美術館、ハドソン川を北に1時間半遡ったDiaアート・ファウンデーションの大型展示施設Diaビーコン、近年ギャラリーの集積が著しいトライベッカやブルックリンのアートシーンまで、その広がりは尽きることがない。何度訪れても新たな発見と刺激に満ちた、アート・ファンの心を掴んで離さない都市。それがニューヨークだ。