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FEATURE

運慶研究の第一人者、山本勉館長が語る運慶
樺崎寺を創建した足利義兼と二体の大日如来像

秋季特別展「足利樺崎寺と運慶 ―二体の大日如来像―」が、半蔵門ミュージアムにて2026年10月24日(土)より開催

インタビュー

半蔵門ミュージアム 山本勉館長と重要文化財《大日如来坐像》 撮影:筒井義昭
半蔵門ミュージアム 山本勉館長と重要文化財《大日如来坐像》 撮影:筒井義昭

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構成・文:森聖加

半蔵門ミュージアムの象徴ともいえる重要文化財《大日如来坐像》(だいにちにょらいざぞう)。その作者が鎌倉時代の仏師、運慶である可能性を見出し、長年研究を続けてきたのが3代目館長の山本勉氏だ。氏はさらにもう一体、栃木県足利市の樺崎寺(かばさきでら)に由来する、同じく運慶作と推定される光得寺《厨子入り 大日如来坐像》とも深い関わりをもつ。

2026年10月開幕の 特別展「足利樺崎寺と運慶 ―二体の大日如来像―」では、二体が同じ空間に並ぶ貴重な機会が実現する。展覧会を前に、二体の大日如来像から見えてくる運慶の姿について山本館長に話を聞いた。

山本勉氏 プロフィール

東京芸術大学美術学部卒業後、同大学院博士後期課程を中退。専門は日本彫刻史。東京国立博物館勤務を経て、清泉女子大学文学部教授に着任。現在は同大学名誉教授、東京国立博物館名誉館員。2022年、半蔵門ミュージアム3代目館長に就任、鎌倉国宝館長も兼務する。主な著書に『運慶大全』(監修、小学館)、『完本仏像のひみつ』(朝日出版社)、『運慶講義』(新潮社)などがある。

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特別展「足利樺崎寺と運慶 ―二体の大日如来像―」
開催美術館:半蔵門ミュージアム
開催期間:2026年10月24日(土)〜12月20日(日)
会期中休館日:月曜日・火曜日 ※ただし、11月3日(祝)は開館
開館時間:10:00~17:30(入場は17:00まで)
運慶ナイト(夜間開館)開催
開催日: 10月30日(金)、11月20日(金)、12月18日(金)
開館時間:10:00~20:00(入場は19:30まで)

運慶作と推定される、樺崎寺由来の二体の大日如来像との縁

「日本では仏像をつくる人を仏師と呼びますが、運慶はその歴史の中で最も名が知られ、しかも現代の目で見て、非常に優れた仏像をつくった人物です。仏像の美しさは時代ごとに異なりますが、運慶は“現実の存在としてそこにいる”かのような仏の姿――人間の身体をもつ立体として、極めて美しく仏の存在を示すことができる仏師でした。飛鳥時代から奈良、平安前期・後期を経て鎌倉時代へと続く、日本の造像の歴史が運慶の中に集約されています。あるいは運慶はそれを集約する力を備えていたといえるでしょう」

重要文化財《大日如来坐像》鎌倉時代 建久4(1193)年か 半蔵門ミュージアム 撮影:佐々木香輔
重要文化財《大日如来坐像》鎌倉時代 建久4(1193)年か 半蔵門ミュージアム 撮影:佐々木香輔

運慶のデビュー作、奈良・円成寺の《大日如来坐像》(国宝)に大学2年のときに出会い、惚れ惚れとする美しい姿に魅了されて以来、仏像、とりわけ運慶作品の研究を続けてきた山本勉館長は、運慶(生年不詳―1223)をこのように評する。

運慶は、奈良仏師と呼ばれた奈良をルーツとする仏師の流れに属しながら、京都、さらには鎌倉を筆頭に東国(関東地方一帯)でも活躍。奈良・京都・東国という仏像製作の主要な三地域すべてでその造像界を主導した、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての天才仏師だ。

運慶作とされる仏像は31体ないし35体が現存し、そのひとつが半蔵門ミュージアムが収蔵・常設展示する重要文化財《大日如来坐像》である。この像には、大きさが半分ほどのよく似た姿の像が存在する。それが今回の特別展「足利樺崎寺と運慶 ―二体の大日如来像―」に、本像とともに並ぶ重要文化財《厨子入り 大日如来坐像》だ。二体はいずれも、かつて栃木県足利市にあった樺崎寺ゆかりの仏像である。山本氏はこの二体が運慶作である可能性を推定した。

足利義兼が理想を託した、二体の大日如来像との邂逅

樺崎寺は鎌倉時代のはじめ、奥州藤原氏討伐の勝利を祈願して、足利義兼(あしかが よしかね/生年不詳―1199)によって創建されたと伝わる。義兼は源頼朝のいとこであり、北条時政(ほうじょう ときまさ)の娘、すなわち政子の妹を妻とした。つまり、鎌倉幕府の将軍家とは、血縁・姻戚の双方で強く結ばれた極めて近しい御家人である。足利氏の地位を確立し、武家として基盤を整備した義兼の存在と活動は、一時代後の室町幕府成立につながっていく。その義兼が目指したのは、平泉の毛越寺や中尊寺に見られる、浄土庭園(じょうどていえん)だ。平安時代から鎌倉時代にかけて流行した、阿弥陀如来(あみだにょらい)の極楽浄土を現世に再現した日本庭園の形式で、寺院建築の前に池を配した、心穏やかな自然風の庭園が特徴である。そのような理想世界を足利の地に現出させようという願いによって樺崎寺が生まれた。

室町期に描かれた《一山十二坊図》には、鎌倉時代末期の鑁阿寺の様子とともに、その奥の院として樺崎寺(下御堂)が描かれている。しかし樺崎寺は明治初年までに廃絶し、現在その姿をとどめていない。《鑁阿寺一山十二坊図》室町時代 15世紀 鑁阿寺
室町期に描かれた《一山十二坊図》には、鎌倉時代末期の鑁阿寺の様子とともに、その奥の院として樺崎寺(下御堂)が描かれている。しかし樺崎寺は明治初年までに廃絶し、現在その姿をとどめていない。《鑁阿寺一山十二坊図》室町時代 15世紀 鑁阿寺

山本氏が初めて足利を訪れたのは1986年。同市の学生からの問い合わせをきっかけに、光得寺の《厨子入り 大日如来坐像》の調査を開始した。「栃木県指定の文化財でしたから、厨子に入った写真はそれ以前にも見ていました。解説には鎌倉時代中頃とありました。厨子から出して四周から見たとき、像がもつ立体感覚、また像がつくりだす空間が、ただならぬものであると感じました。現場には半蔵門ミュージアムの初代館長の水野敬三郎先生も立ち会っており、先生が『こんなの運慶にしかできないよ』と叫んだのを覚えています」

重要文化財《厨子入り大日如来坐像》 鎌倉時代 12世紀 光得寺
重要文化財《厨子入り大日如来坐像》 鎌倉時代 12世紀 光得寺

この光得寺の《厨子入り 大日如来坐像》が義兼発願によるものであることは、『鑁阿寺樺崎縁起幷仏事次第(ばんなじかばさきえんぎならびにぶつじしだい)』にある「三十七尊を従える厨子入り大日如来」という記述との一致から明らかだったが、問題はその作者だ。作風は、文治五(1189)年に運慶が神奈川県・浄楽寺で製作した阿弥陀三尊像に近く、とりわけしっかりとした顎の造形に運慶らしさが認められた。

決定的だったのは、像底の構造である。運慶は浄楽寺像で初めて「上げ底式内刳り(あげぞこしきうちぐり)」という技法を採用、それと同じ技法が光得寺像にも確認された。一般に木造坐像では軽量化のため内側をくり抜くが、運慶はそこに底板を設けて、仏の魂を収める空間として捉え、心月輪(しんがちりん)をはじめとする納入品を収める空間をつくりだした。像内をX線調査すると整然と収められた納入品がそこにみいだされ、中央に立つ柱にくくりつけられた水晶の球こそ心月輪と考えられた。山本氏は、厨子入りの像が運慶作だと確信する。

※仏の魂を象徴する満月の月輪。運慶はこれを水晶珠であらわした。

二体の大日如来像の由来を記す重要文化財『鑁阿寺樺崎縁起幷仏事次第』(鑁阿寺文書)
室町時代 15世紀 上に半蔵門ミュージアム像に関する記述、下に光得寺像に該当する記述がある 
二体の大日如来像の由来を記す重要文化財『鑁阿寺樺崎縁起幷仏事次第』(鑁阿寺文書)
室町時代 15世紀 上に半蔵門ミュージアム像に関する記述、下に光得寺像に該当する記述がある 

そして既出の記録には、義兼発願の、もう一体の別の大日如来像の存在も記されていた。「樺崎の寺の下御堂(しものみどう)に三尺皆金色(さんじゃくかいこんじき)の金剛界大日如来坐像があり、厨子に建久四(1193)年の願文がある」。当時、その像の現存を知るものはいなかった。――果たして17年後、山本氏の前に光得寺像に似た、新たな大日如来像が姿を現す。それが、のちに半蔵門ミュージアムに収められる《大日如来坐像》だった。

二体の大日如来像が示すもの

特徴的な髻(もとどり)の形や、脚の部分に配された下から上へ向かう独特の衣文線(えもんせん)などの共通点に加えて、「上げ底式内刳り」の構造と、台座につなげるために用いる特殊な金具の存在からも両者には強い関係が認められた。またX線調査によって、像内納入品の種類や形態が共通することもわかった。これらの要素から、山本氏はこの像が樺崎寺下御堂の建久四年の像にあたると考えた。

大日如来は密教における最高位の仏で、仏の世界や宇宙の真理を表す曼荼羅(まんだら)の中心にいる存在。半蔵門ミュージアム像と光得寺像はいずれも智拳印(ちけんいん)を結ぶことから、金剛界大日如来であることがわかる。

重要文化財《大日如来坐像》(部分)鎌倉時代 建久4(1193)年か 半蔵門ミュージアム 撮影:佐々木香輔
重要文化財《大日如来坐像》(部分)鎌倉時代 建久4(1193)年か 半蔵門ミュージアム 撮影:佐々木香輔

「胸の前で両手を高く組む仏像のポーズは、ガンダーラ以来の伝統をもつものですが、日本ではいずれかといえば避けられてきました。ところが運慶はこの姿勢を強調し、胸の前に複雑で、奥行きのある空間をつくり出しています。立体としての人体への強い関心が大日如来特有の姿に向けられたのでしょう。非常にやりがいのある尊像だっただろうと思います」

撮影:筒井義昭
撮影:筒井義昭

この二体の‟発見‟によって、それまで明らかでなかった建久年間(1190-1199年)の運慶の仕事に、具体的な輪郭が与えられることになる。この時期の運慶は、40代にさしかかったころ。文献上では奈良・東大寺大仏殿の再興に伴う造像や、京都・東寺講堂の諸像の修理への関与が知られていた。ほかには和歌山県高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)の八大童子像が伝わるが、製作の実像は断片的だったのだ。

とりわけ、慶派一門の棟梁として率いた東寺講堂の諸像の修理は重要である。弘法大師空海が構想した大日如来を中心とする立体曼荼羅の密教空間に触れ、各像のつくりを学び、内部構造や納入品のあり方を実見した。この修理時には空海ゆかりの仏舎利(ぶっしゃり/釈迦の遺骨)が各像の頭から出現し、特別公開がされるほど都中をわかせたという。

重要文化財《厨子入り 大日如来坐像》 鎌倉時代 12世紀 光得寺
重要文化財《厨子入り 大日如来坐像》 鎌倉時代 12世紀 光得寺

「光得寺の《厨子入り 大日如来坐像》に見られる光背の三十七尊曼荼羅や、台座の下の八頭の獅子(光得寺像には四頭現存)を配した表現は、文献で知られる東寺講堂の創建時の大日如来像の形そのものです。半蔵門ミュージアム、光得寺像双方の像内には舎利が納められていますが、製作が後になる光得寺像では納入場所は頭部です。これは東寺講堂での出来事から学ばれた可能性があります」

“内側の形”こそが、運慶の造形
立体の造形を極めつつ、内なる空間に心を尽くす

「例えば、運慶以外の有名な仏師には、前の時代に活躍した定朝(じょうちょう)や同じ一門の快慶がいますが、彼らには決まった像の形がありました。対して、運慶が仏像製作で重視したのは、先人から伝えられた形、あるいは自分が一度つくった形を再生産することではなく、製作のたびに『仏とは何か』という新たなイメージにいかに近づけるか、ということなのです。仏像とは、どこかに存在するはずの仏や菩薩をこの世に見える姿として仮に表しているわけですが、その仮の姿に具体的な肉体の特性をもたせようとしたのが生身仏(しょうじんぶつ)の考え方です。それにふさわしい仏像表現を試みたのが運慶でした」

一方で大日如来を絶対的な存在として表そうとする姿勢も顕著だ。二体の大日如来像には、金の漆箔(しっぱく)を施して宇宙の中心の存在としての絶対的な輝きを与えた。しかし光得寺像の本体周囲の諸尊や台座の獅子には金粉をにかわで溶いた金泥(きんでい)塗りを用いて自然で現実的な輝きを与える。さらに、運慶にとって仏像は外形だけで完結するものではなく、納入品を含めた内部空間もまた、仏の存在を成立させる核だったと山本氏は続ける。

「まさに“内側の形”こそが、運慶の造形です。納入品ひとつひとつの形や配置の仕方、それを収めるためにどのような構造が最適なのか――。運慶は仏像をトータルに考えていたのだと思います。光得寺像も半蔵門ミュージアム像も、どちらも後世の解体修理を受けていません。つまり内部が当時のまま残っている。半蔵門ミュージアムでは、その内部構造を模型として再現しています。私がよく申し上げるのは、仏像の外側はあくまで“作り物”であるということ。しかし、その奥に“本当の仏に近づくための仕掛け”が存在している。運慶は内側にこそ、心を尽くしていたのです」

12世紀初めごろ、覚鑁(かくばん)という僧が「大日即阿弥陀」という考えを示した。密教の中心である大日如来は、そのまま阿弥陀如来でもあり得る。つまり、当時広まっていた浄土思想の中で、大日如来も阿弥陀と同じように極楽へ導く存在として理解されるようになっていた。義兼発願の二体の大日如来像はまさに、阿弥陀如来と同様に大日如来を極楽往生へ導く仏として捉える思想を具体化した像でもある。

「秋の特別展『足利樺崎寺と運慶 ―二体の大日如来像―』では、当時最先端の仏教思想とそれを造形化したものが、源頼朝に近い地位にあった東国の武将によって足利にもたらされた意味を受け止めていただきたいと思います。数年前の大河ドラマなどでも、東国武士は野卑なイメージで語られた懸念がありますが、実は平安末期、鎌倉初期には多くの武将やその縁者が京都にも滞在し修学を深めており、足利義兼はなかでも有力な一人でした。その深い教養やすぐれた美意識、そして篤い信仰が二体の大日如来像の造形や像内納入品に込められているのです」

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半蔵門ミュージアム|Hanzomon Museum
102-0082 東京都千代田区一番町25
開館時間:10:00〜17:30(最終入館時間 17:00)
休館日:月曜日・火曜日 年末年始

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