謎めいた、蠱惑的な芸術世界
カール・ヴァルザーとは何者か
「スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー 世紀末の昏き残照」が、東京ステーションギャラリーにて6月21日(日)まで開催

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東京ステーションギャラリーで「スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー 世紀末の昏き残照」展が開幕した。20世紀前半のスイスで活躍したカール・ヴァルザー(1877-1943)は、画業の初期にはベルリン分離派に属し、象徴主義的な印象深い作品を多く描いたほか、舞台美術や挿絵、壁画制作などでも高く評価された。
おそらくほとんどの日本人は彼の名を知らないだろう。しかし彼は日本を知っている。1908年に来日したカール・ヴァルザーは、東京や京都・宮津などに滞在し、日本の風景や風俗、芸能を描いていた。
日本初の回顧展である本展では、約150点の展示作品全てが日本初公開となる。日本との縁も深い、知られざる画家カール・ヴァルザー、謎めいていてどこか蠱惑的な、その芸術世界に出会う。
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- 「スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー 世紀末の昏き残照」
開催美術館:東京ステーションギャラリー
開催期間:2026年4月18日(土)〜6月21日(日)
絵画と素描:ヴァルザーの芸術世界の神髄

カール・ヴァルザー(1877-1943)
スイス・ベルン近郊の街ビール(ビエンヌ)生まれ。美術工芸学校で学んだ後、ベルリンに移る。1902年にベルリン分離派の展覧会に初出品し、翌年に会員となる。作風は象徴主義的でどこか陰鬱とした昏さを漂わせる。また舞台美術、本の装幀や挿絵、壁画制作で活躍する。1908年には日本を訪れ、滞在先で見た日本の風景、風俗・芸能に関心を寄せ、多くの作品を残した。弟は作家のローベルト・ヴァルザーで、兄弟の合作も多い。1925年、48歳の時にスイスに帰国。スイスでは特に壁画制作に携わる。66歳でベルンにて逝去。

17歳の時の作。後にスイスを代表する作家となる弟・ローベルトは、この時期は演劇に夢中で、劇の主人公に扮している。
勇ましい眼差しの表情や、均整のとれたプロポーションなど、画家の早熟ぶりがうかがえる。
回顧展の場合、生涯を順にたどる構成が多いが、本展はあえて「絵画と素描」「挿絵」「舞台美術」と分野別、そして画業において重要なトピックである「日本との出会い」の4章で構成されている。東京ステーションギャラリーの館長であり、本展を企画した冨田章氏は「日本で知られていないカール・ヴァルザーという画家を知るには、生涯をたどるより、多様に活躍した各ジャンルの仕事を知ってもらいたい」と話す。

あるいはテラスやバルコニーに立つ女性の姿を描いた作品が紹介されている。
そして冨田氏曰く「まず画家の技量の高さ、その独特な世界観を知ってもらう」ため、展覧会の最初を飾るのは、「絵画と素描」だ。3階の展示室はすべて絵画作品に割かれている。若かりし頃の素描や水彩画ではじまり、ベルリン分離派時代の油彩画などから、画家の画風形成の変遷と耽美的、あるいは象徴主義的とも言える唯一無二の世界観の神髄に触れる。

この章で特に注目したいのが、展覧会のメインビジュアルにも使われている《婦人の肖像》だ。読書する女性は、近代西洋美術において描かれてきたテーマだが、その多くが室内で読書に耽る(本に視線を落とした)くつろいだ姿を牧歌的に描くものであった。
しかし本作では、女性は屋外におり、まるでこれから外出するかのような装いで、凛とした姿で椅子に座っている。そしてその視線は本ではなく、鑑賞者である私たちの方に向かって鋭く投げられ、「覗き見」した私たちを無言のうちに咎めるようだ。全体的に暗い色調の中で真っ赤な本の表紙が強烈なアクセントとなり視線を引き付ける(遠景の芝生あるいは草原の一際明るい緑との対比がさらに強調させている)。「本」「女性」「鑑賞者」-「見る者/見られる者(物)」―の三者の間、絵の中と外で視線が交錯し緊張が生まれる。
冨田氏は「画家がどのような意図でこうした女性像を描いたかは定かではない。背景と女性の関係も不明瞭。しかしだからこそ様々な想像が許される」と語る。

日本滞在:「幸せな国」で見た景色
ヴァルザーの絵画世界に浸かった後は、2階の展示室に移る。続く章は「日本滞在」。ヴァルザーの画業を知る上でも、本展が日本で開催される意義としても重要なトピックであるヴァルザーと日本の関係に迫る。
ヴァルザーの来日には悲痛な背景がある。当時付き合っていた恋人が、ヴァルザーが別の女性を愛したことを知って、画家の眼前で自ら命を絶った。鬱病となったヴァルザーを心配した作家のベルンハント・ケラーマンが日本旅行を手配し、ヴァルザーは日本の地を踏んだ。

横浜に着いた際の妹宛ての手紙で「日本は幸せな国」と記し、別の手紙では日本人の宗教観、国民性なども語っている。
横浜、東京、京都、伊勢、宮津など各地を旅したヴァルザーは、印象に残った日本の風景、人々の生活、祭りや芸能を描いた。東京の歌舞伎座で見た『伽羅先代萩』の役者の姿、京都の祇園祭や鴨川の納涼床、そして宮津滞在中に見た芸妓の踊りを描いた作品などが紹介されている。


当時の鴨川の納涼床は川の中に床を作っていることが分かる。
中でも、宮津の芝居小屋で見た歌舞伎『壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)』の一場面「阿古屋琴責(あこやことぜめ)」を描いた作品は大きく取り上げられている。この作品は、主人公・阿古屋を演じる女方(おんながた)の俳優が琴・胡弓・三味線の3種の楽器を実際に演奏しながら演技をする点が見どころで、女形の大役の1つとされる。ヴァルザーは物語の最後、演奏を終えて立ち去る阿古屋の姿を描いた。

ゴットフリート・ケラー財団(新ビール美術館寄託)
豪華な衣装をまとい、花道に立つ阿古屋の気高さ、その姿に見入る観客たち、芝居小屋の静かな熱狂を画面の中に封じ込めたような濃密な空気が漂う。周囲には、本作を手掛けるための習作も並び、熱心に歌舞伎の世界を描き出そうとする姿がうかがえる。舞台美術の仕事もしていた画家にとって、遠く離れた日本の芸能には、大きな興味をそそられたことだろう。
》1908年 石墨・水彩・グアッシュ、紙 ベルン美術館(友の会) ©Kunstmuseum Bern](https://i.artagenda.jp//feature/1/images/4952c3a1e8b583a5fb128fc13a7d569b_middle.jpg)
©Kunstmuseum Bern
挿絵と装幀:弟ローベルトとの合作を中心に

続く「挿絵と装幀」の章では、ヴァルザーが手掛けた挿絵・装幀の仕事を紹介する。ヴァルザーの挿絵は、油彩作品とは異なり、軽やかな色彩、背景の細やかな描写、登場人物の魅力的な衣装など、ロマンティックな雰囲気が漂う。

この章では、特に画家の弟でスイスを代表する作家となったローベルトとの合作に注目する。ローベルトが生前に出版した著書16冊のうち11冊はヴァルザーが表紙や装幀を手掛け、そのうち5冊は挿絵も描いた。絵画と文学、それぞれ芸術の才能を発揮した兄弟の関係は良好だった…と思いたいところだが、後年には両者の間には経済的な格差が生まれ、また作品に対する考えの違いから溝が深まったようだ。(経済的な成功には恵まれなかったローベルトは、死後に再発見され、ベルンに「ローベルト・ヴァルザー・センター」が設立されるなど、今ではその功績が評価されている。)

ローベルト著『詩集』のためにヴァルザーが描いたエッチングの展示では、ローベルトの詩の翻訳も紹介されており、兄弟合作の言葉と絵の共鳴を味わいたい。
舞台美術:空間を彩る
最後に、舞台芸術、そして画業の後半期に特に注力して取り組んだ壁画制作の事例を紹介して、本展は締め括られる。
画業の前半、ベルリン在住の頃から舞台美術の仕事に携わったヴァルザー。舞台の背景画となる書き割りを描いたり、衣装デザインなども手掛けた。本展ではシェイクスピア作『ロミオとジュリエット』や『夏の夜の夢』、ビゼー作『カルメン』の衣装デザインや、シェイクスピア作『アントニーとクレオパトラ』の舞台美術のための下絵などが展示されている。


ドイツからスイスに帰国してからの画業の後半期は、特に壁画制作の仕事に従事した。壁画は個人の住宅や公共施設など様々で、舞台美術の仕事で培った装飾的、演劇的とも言える独自の世界を壁画でも表現した。画家の最期の仕事も壁画であった。しかし、その最後の壁画を完成させることなく、1943年9月28日、66歳でその生涯を終えた。
「カール・ヴァルザーとは何者か」。その問いに一言で答えるのは容易ではない。絵画、挿絵・装幀、舞台美術と多彩なジャンルで活躍し、そのいずれにおいても昏く、妖しく、ゆえに魅惑的な世界を作り上げた。彼の姿を追い求めて歩み寄れば歩み寄るほど、深い森の奥へと迷い込んでしまう―そんな感覚に陥ってしまう。その引力こそが、カール・ヴァルザー。今はただそう言うより他にない。

- 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ 美術館情報
- 東京ステーションギャラリー|TOKYO STATION GALLERY
100-0005 東京都千代田区丸の内1-9-1
開館時間:10:00〜18:00(最終入館時間 17:30)
会期中休館日:月曜日 ※ただし5月4日、6月15日は開館
※展示作品の作家は全てカール・ヴァルザー
※参考文献:本展図録