桜の名所「吉野」と山岳修行始まりの地「大峯」
―育まれてきた修験道の信仰世界に触れる
特別展「神仏の山 吉野・大峯 ―蔵王権現に捧げた祈りと美―」が、奈良国立博物館にて6月7日(日)まで開催

延喜年間(901〜923)の創建と伝わる如意輪寺に伝来。左の足枘(あしほぞ)に嘉禄二年の年紀と仏師源慶の名が記される。
均衡のとれた実在感あふれる姿に、運慶の弟子である源慶の力量が発揮された、蔵王権現像の代表作。
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奈良県中部に位置する吉野。桜の名所として知られ、春には多くの観光客が桜を愛でにこの地を訪れる。しかし単に風光明媚な景色を楽しむための場所ではない。吉野は古くより神々や神仙が住む神秘の地として信仰されてきた。さらに和歌山県・熊野へと至る険しい山々は「大峯(おおみね)」と呼ばれ、山岳修行の始まりの地とされている。
奈良国立博物館で開幕した特別展「神仏の山 吉野・大峯 ―蔵王権現に捧げた祈りと美―」は、吉野・大峯で連綿と続く信仰の姿を展観する。また、吉野に参詣し自ら写経した経巻を埋納した藤原道長、吉野に南朝を樹立した後醍醐天皇、盛大な花見の宴を催した豊臣秀吉と、歴史に名を残す為政者と吉野の関係にも光を当て、「聖地・吉野」の全貌に迫る。
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- 特別展「神仏の山 吉野・大峯 ―蔵王権現に捧げた祈りと美―」
開催美術館:奈良国立博物館
開催期間:2026年4月10日(金)〜6月7日(日)
前期:4月10日(金)〜5月10日(日)、後期:5月12日(火)〜6月7日(日)
山岳信仰の祖師・役行者
6章で構成された本展は、まずその信仰の要となった2つの尊像に焦点を当てる。すなわち「役行者(えんのぎょうしゃ)」と「蔵王権現(ざおうごんげん)」である。
役行者(えんのぎょうしゃ 本名:役小角(えんのおづぬ))は、7世紀後半~8世紀ごろの山岳修行者であり、大和国・葛城山(現在の奈良県と大阪府の境界辺り)に住み、呪術を使い、鬼神を従えたと伝わる。山岳信仰の根本道場には、大峯山寺(おおみねさんじ)と金峯山寺(きんぷせんじ)がある。役行者が、金峯山で蔵王権現を感得し、その姿を山桜の木に刻み、山上と山下に祀ったのが大峯山寺と金峯山寺の始まりである、と金峯山寺には伝えられている。

役行者は、鎌倉時代以降、修験道の祖師として崇拝されるようになり、役行者像が作られるようになった。後醍醐天皇の行宮(あんぐう・仮の御所)にもなった𠮷水神社に伝わる《役行者倚像》は、長頭巾をかぶり、袈裟と蓑をまとい、高下駄をはいた姿で座し、手に錫杖と三鈷杵を持つ。これは役行者像の典型的な姿で、さらに両脇に前鬼(赤鬼)と後鬼(青鬼)を従えることも多い。
本展では、こうした役行者像をはじめ、役行者の説話が記された仏教説話集である国宝『日本霊異記』や、役小角所持と伝わる錫杖頭(錫杖の先端に取り付け音を鳴らす)、修験者が用いる笈(おい・背負って運ぶ箱型道具入れ)など、山岳信仰の様相を知ることができる資料が紹介されている。

石山寺の起源には蔵王権現が関連しており、本作は寺で本尊の右脇侍「金剛蔵王(=蔵王権現)」として祀られていた塑像の心木。右足は後補で、本来は両足を地につけていた姿とされる。蔵王権現の造形を考える上で貴重な作例。
また吉野一帯で発掘された品や、明治期に画家の狩野芳崖が岡倉天心らと共に調査に訪れた際のスケッチなど、貴重な資料も展示されている。

吉野の信仰の象徴「蔵王権現(ざおうごんげん)」

そして、その役行者が大峯に籠って祈願した際に岩の中から現れたと伝わるのが「蔵王権現」であり、修験道の独自の尊像である。髪は燃え盛る炎のように逆立ち、身体は青黒色。高く掲げた右手には三鈷杵(独鈷杵)を持ち、左手は剣印(人差し指と中指だけを伸ばした形)を結び、右足を高い位置で蹴り上げる。この独特の姿態が蔵王権現の典型であり、それぞれに意味がある。青黒色は仏の慈悲と寛容、左手の剣印は魔を調伏し、力強く地面を踏みしめる左足は国土の災害を鎮め、右足は人々の障害を取り除く意味が込められている。

本展には、大峯山寺の秘仏として祀られている《蔵王権現立像》をはじめ、12~13世紀頃(平安~鎌倉時代)に制作された、奉納されたものと考えられる26軀の蔵王権現も展示されている。憤怒の形相のものもいれば、どこか可愛らしくユーモラスな表情をみせるものもいる。見比べてみると、それぞれ少しずつ異なり、個性を見つけるのも楽しいだろう。その数の多さ、表現の多様さが、吉野・大峯の地で育まれた蔵王権現の信仰の深さを物語っている。

さらに、展示室の一角では金峯山寺の蔵王堂で秘仏として祀られている3軀の巨大な《蔵王権現像》を大型のスクリーンで紹介する。迫力のVR映像で、普段は見られない秘仏の威容を原寸大で体感できる。
近年発見の藤原道長直筆の経巻
役行者、蔵王権現と、吉野・大峯で尊ばれた尊像を見た後は、その吉野が「聖地」として、人々の憧れの場所となっていく展開をたどる。

そこでまず重要なのが、近年金峯山寺で発見された藤原道長(966-1027)の直筆で、金峯山に埋納された経巻と、それを納めていた経筒だ。本展が保存修理後、初公開となる。道長は寛弘4(1007)年に15巻の経巻を埋納した。本品は、年代や制作経緯が明らかな現存最古の経塚遺品だ。
紺紙に金字で書かれた道長筆の経典は、残念ながら下半分が長年地中に埋まっていた間に朽ちて失われているが、現存する部分の状態は比較的良好で、道長のたっぷりとした書体を感じることができる。

【展示期間:5/12~24】

道長以降、金峯山参詣が盛行し、道長の曽孫である藤原師通(もろみち/1062-99)が同じように経巻を埋納している。その他にも経箱や仏具類、蔵王権現立像や鏡像、懸仏などが埋納された。


厨子に納められていたため彩色の保存状態も良く、制作当初の姿を存分に感じさせる。
天皇や貴族らによる金峯山参詣が増えたことで、より洗練された造形の蔵王権現像が同地にもたらされた。写真の《蔵王権現立像》は、鎌倉時代の仏師・運慶の高弟である源慶の手によるもので、後醍醐天皇の勅願寺とされた如意輪寺に伝わる。細部まで緻密な造形には、運慶の高弟らしい高い技量がうかがえる。
その他にも、吉野の桜に魅せられた平安時代末~鎌倉時代初頭の歌人・西行(1118-90)にまつわる彫像や絵画作品、吉野の神々を描いた「吉野曼荼羅」の系譜など、「聖地・吉野」の多様な展開をたどる。


(2026年4月、筆者撮影)
南朝を樹立した後醍醐天皇

それまで吉野は「信仰」の聖地であったが、一時「政治」の舞台にもなった。鎌倉時代の後、建武の新政に挫折した後醍醐天皇(1288-1339)は、京都を逃れ、吉野の地に南朝を開いた。南北朝時代の始まりである。しかしわずか3年後、延元4(1339)年、志半ばで後醍醐天皇は吉野で崩御し、如意輪寺の近くに陵墓が築かれた。

彩色の一部や持物など、後の時代に手が加えられた跡があるが、ほぼ当時の状態を残す。
本展では、密教に造詣が深かった後醍醐天皇の姿を示す肖像画や彫像、後醍醐天皇の宸筆による《両界種子曼荼羅》などの貴重な資料資料に加え、後醍醐天皇の勅願所である如意輪寺本堂の秘仏《如意輪観音像》が寺外初公開される。
秀吉・桜の名所としての吉野
吉野と聞いてまず思い浮かべるのは満開の桜の光景だろう。桜は蔵王権現の神木と伝えられ、吉野という聖地を象徴する特別な花だ。

この地で文禄3(1594)年に盛大な花見の宴を催したのが、天下統一を果たした豊臣秀吉(1537-98)だ。本展では、この時の大花見で、大名たちがしたためた和歌懐紙や、吉野の寺社に伝わる能装束や能面、漆器類などを紹介し、当時の宴の様子に思いをはせる。

勝手神社は源義経と共に吉野に逃げていた静御前が捉えられた後、舞を舞ったという狸塚がある。
エピローグ:『義経千本桜』の世界に囲まれて
展覧会のラストは、文楽『義経千本桜』の舞台背景をバックに、アメリカのロサンゼルス・カウンティ美術館所蔵の《蔵王権現立像》が訪れた人々を見送る。文楽や歌舞伎で上演される『義経千本桜』、源義経の都落ちの伝説を軸に虚実入り混ぜた壮大なスケールの物語を、桜満開の吉野が彩り、観客を夢幻の世界に誘う。そんな余韻の中で、最後に吉野の信仰の象徴「蔵王権現」に向き合う。

憧れの地として人々の心を引き付けて止まない「吉野」、そしてさらに奥地で信仰の核となってきた「大峯」。山深いこの地で醸成された信仰の営みは密やかにその美を護り続けていた。険しい山から下り、奈良国立博物館に集った貴重な品々から、その歴史と信仰の深みが、静かに立ち現れる。

5/6までは、吉野・金峯山寺で秘仏《金剛蔵王大権現像》特別ご開帳が実施され、実物の拝見が可能。
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- 奈良国立博物館|Nara National Museum
630-8213 奈良県奈良市登大路町50番地
開館時間:9:30〜17:00(最終入館時間 16:30)
会期中休館日:月曜日 ※ただし4月27日(月)、5月4日(月・祝)は開館
参考文献:本展公式図録、金峯山寺公式サイト