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FEATURE

装幀、挿絵、舞台美術で魅了した小村雪岱
モダンで粋な美の世界

「密やかな美 小村雪岱のすべて」が、千葉市美術館にて2026年6月7日(日)まで開催

内覧会・記者発表会レポート

小村雪岱 《春告鳥》 昭和7 (1932) 年頃 個人蔵(埼玉県立近代美術館寄託)【前期展示】
小村雪岱 《春告鳥》 昭和7 (1932) 年頃 個人蔵(埼玉県立近代美術館寄託)【前期展示】

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小村雪岱(1887-1940)と聞いて、ある人は泉鏡花の文学を彩ったモダンな装幀を、ある人は白と黒の対比が鮮烈な新聞小説の挿絵を、ある人は浮世絵師・鈴木春信を彷彿とさせる華奢な美人図を思い起こすだろう。

いずれにしても、シャープで流麗な線、極限までモチーフをそぎ落とし洗練された構図など、一度見たら忘れられない独特の画風が、見る人の心に強烈に残る。そんな小村雪岱の画業の全貌に迫る特別展「密やかな美 小村雪岱のすべて」が千葉市美術館で開幕した。

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「密やかな美 小村雪岱のすべて」
開催美術館:千葉市美術館
開催期間:2026年4月11日(土)〜6月7日(日)

改めて小村雪岱の生涯と画業を振り返る

小村雪岱肖像(展示室パネルより)
小村雪岱肖像(展示室パネルより)

現在の埼玉県・川越市で生まれた小村雪岱は、27歳の時に泉鏡花著『日本橋』の装幀で美術家としてのキャリアをスタートさせ、53歳で生涯を閉じる。つまり雪岱の画業は約25年ほどと、あまり長くない。それゆえか、これまで雪岱の画業は、装幀、挿絵、舞台美術といった分野別に紹介されることが多かった。

しかし本展では、改めて雪岱という画家の全貌を提示するため、プロローグ、エピローグを含めた全10章の構成で、時代に沿って画業をたどる。またその中で「人とのつながり」を軸に、多様な分野で活躍した経緯をひも解いていく。

プロローグの展示風景
《青柳》《落葉》《雪の朝》の3点はいずれも東京・日本橋の光景。雪岱は明治35(1902)~41(1908)年頃、日本橋に住んでおり、日本橋の風景は雪岱の美の世界を醸成する大きな土壌となっただろう。
プロローグの展示風景
《青柳》《落葉》《雪の朝》の3点はいずれも東京・日本橋の光景。雪岱は明治35(1902)~41(1908)年頃、日本橋に住んでおり、日本橋の風景は雪岱の美の世界を醸成する大きな土壌となっただろう。
小村雪岱 《青柳》 大正13 (1924) 年頃 埼玉県立近代美術館蔵【前期展示】
小村雪岱 《青柳》 大正13 (1924) 年頃 埼玉県立近代美術館蔵【前期展示】

展示は、プロローグとして雪岱の画風を象徴する《青柳》《落葉》《雪の朝》で幕を開ける(後期は同作の木版多色摺が展示)。人物が描かれていない風景画だが、構築的な空間構成と、四季の情趣が融合し、深い余韻を見る者に残す。例えば、《青柳》では、広い部屋の中央に三味線と鼓が残されている。ついさっきまで稽古が行われていたのであろうか、風にそよぐ柳越しに垣間見えた屋内の光景に、どんな人がそこにいたのだろうかと想像が尽きない。

学生時代に生涯の憧れ・泉鏡花に出会う

古美術の模写などの精緻な描写から、若き画家の卓越した技量がうかがえる。
古美術の模写などの精緻な描写から、若き画家の卓越した技量がうかがえる。

「これぞ雪岱」という3点を堪能した後は、第1章で学生時代の作品を見ていく。東京美術学校(現・東京藝術大学)の日本画選科に入学した雪岱は、下村観山のもとで古典絵画の模写や写生に取り組み、基礎を身につけた。当時の写生や模写などからは実直に画技の習得に取り組んだ様子がうかがえ、美術家・小村雪岱の原点に触れる。

卒業制作の《春昼》は、泉鏡花の同名の小説から着想を得て描いた作品(写真手前、【前期展示】)。
本作は大学の買い上げとなった。
卒業制作の《春昼》は、泉鏡花の同名の小説から着想を得て描いた作品(写真手前、【前期展示】)。
本作は大学の買い上げとなった。

在学中に泉鏡花の世界に魅了された雪岱。やがて知遇を得て鏡花との出会いを果たすと、急速にその距離を縮めた。「雪岱」という画号も鏡花が授けたもので、それに旧姓の「小村」を付けて、ここに画家「小村雪岱」が誕生した。(本名の「安並」と組み合わせ「安並雪岱」と名乗っていたのを、語呂が悪いから「小村」に変えたのも、鏡花の助言によるという指摘もある。)

そして大正3(1914)年、27歳の時に泉鏡花『日本橋』の装幀を手掛ける。これが雪岱にとって初めての装幀の仕事となった。

小村雪岱 《泉鏡花『日本橋』表紙》 大正3(1914)年(有)田中屋蔵【後期展示】
小村雪岱 《泉鏡花『日本橋』表紙》 大正3(1914)年(有)田中屋蔵【後期展示】

日本橋に並ぶ河岸蔵の光景を正面から捉えた構図は、まるで文様のように均等に配されている。その間の川を渡る舟や数多の蝶が画面に動きを与え、清廉さと軽やかさが両立し、眼に心地よい。

展示風景
展示風景

その後、鏡花の様々な作品の装幀を手掛ける雪岱の元には、他の作家の仕事も舞い込むようになった。里見弴や久保田万太郎といった、いずれも鏡花を信奉する者たちである。

さらに、そうしたモダンな装幀に注目した資生堂の社長・福原信三は雪岱に声をかけ、大正7(1918)年、雪岱は資生堂の意匠部に所属することとなった。書籍の装幀、商品デザインや資生堂フォントの原型となる書体の創案など、新時代にふさわしい美を提唱する資生堂のデザインに貢献した。

資生堂時代に雪岱がデザインを手掛けた書籍や香水瓶などが展示。
資生堂時代に雪岱がデザインを手掛けた書籍や香水瓶などが展示。

活躍の舞台は歌舞伎座へ―舞台美術の仕事

雪岱の活躍の場は、文学だけでなく舞台芸術でも花開いた。大正12(1923)年に起きた関東大震災で資生堂は壊滅的な被害を受け、その数ヶ月後に雪岱は退社。翌年、歌舞伎役者・13代目守田勘弥の世話人の紹介で、初めて舞台装置(大道具)の原画を手掛けた。これが守田から好評だったことから、雪岱はその後も歌舞伎の舞台装置を多く手掛けることとなる。

『一本刀土俵入』の舞台装置の原画。歌舞伎の舞台装置(大道具)の原画は50分の1のスケールで描く。
『一本刀土俵入』の舞台装置の原画。歌舞伎の舞台装置(大道具)の原画は50分の1のスケールで描く。

展覧会では、現在でも上演される人気作品『一本刀土俵入』をはじめ、様々な作品の舞台装置の原画を紹介している。装幀や商業デザインのスッキリと洗練された意匠とは異なり、舞台装置の仕事では、日本画家・松岡映丘(えいきゅう)の元で日本画の研鑽を積んだ実力をいかんなく発揮している。『源氏物語』など王朝時代の物語では典雅な風情を醸し、『一本刀土俵入』では、物語の舞台である取手に実際に取材し、実感のこもる写実的な舞台装置で、芝居の世界に溶け込む風情を描き出している。

歌舞伎座をはじめとする当時の歌舞伎公演のチラシ。
上演演目の左下に舞台美術のスタッフとして小村雪岱の名前が記されている。
歌舞伎座をはじめとする当時の歌舞伎公演のチラシ。
上演演目の左下に舞台美術のスタッフとして小村雪岱の名前が記されている。

舞台美術家としての雪岱の評価は高く、当時の名女方・5代目中村歌右衛門や、6代目尾上菊五郎といった名優たちからの信頼も得て、彼らの多彩な舞台を彩った。

雪岱の挿絵の真骨頂-「雪岱調」の確立

泉鏡花「山海評判記」の原画と当時の掲載紙が並んでおり、見比べることができる。
泉鏡花「山海評判記」の原画と当時の掲載紙が並んでおり、見比べることができる。

雪岱が新聞小説の挿絵を初めて手掛けたのは、大正11(1922)年、35歳の時、里見弴の「多情仏心」であった。まだ資生堂に在籍していた時期であったが、その後しばらくは新聞小説挿絵の仕事には携わらず、再び取り組むようになるのは昭和3(1928)年になってからだ。

そして、翌年には泉鏡花「山海評判記」の挿絵を手掛けた。この時期の挿絵は、後の(いわゆる「雪岱調」と呼ばれる)シャープな画風には遠いが、色は白黒に限定され、限られたスペースで端的に物語の世界を表現する、新聞小説挿絵という特殊な媒体における表現力を磨いていった。

田中貢太郎「旋風時代」の挿絵では貴重な下絵図が展示されている。
田中貢太郎「旋風時代」の挿絵では貴重な下絵図が展示されている。

その経験が遂に花開くのが、昭和初期、邦枝完二の「江戸役者」「おせん」「お傳地獄」、あるいは矢田挿雲「忠臣蔵」だろう。邦枝の徹底した江戸趣味は雪岱と共鳴し、邦枝の描く物語世界は、雪岱の絵によってより鮮烈に、近代の世に立ち現れた。

小村雪岱 《おせん》 昭和16(1941)年 埼玉県立近代美術館蔵 *没後出版【前期展示】
小村雪岱 《おせん》 昭和16(1941)年 埼玉県立近代美術館蔵 *没後出版【前期展示】

迷いのない細く均質な線描、柱や床板などの直線で区画された画面分割、アクセントとなるベタ塗りの黒色と余白の白色の対比、それによって醸し出される怜悧な雰囲気、「雪岱調」として見る人を引き付けて止まない雪岱独自の美の世界が確立した。

1点1点の完成度もさることながら、連続で観てみると画面の展開も魅力的だ。極端に遠景のシーンと、人物をクローズアップしたシーン、その視点の切り替えも映画のワンシーンのように印象深く、それぞれの台詞が聞こえてきそうだ。

小村雪岱 《邦枝完二「お傳地獄」挿絵原画》 昭和10 (1935) 年 埼玉県立近代美術館蔵【後期展示】
小村雪岱 《邦枝完二「お傳地獄」挿絵原画》 昭和10 (1935) 年 埼玉県立近代美術館蔵【後期展示】

毎月欠かさず開催された「九九九会」の集い

全10章の構成の中でも特に興味深いのが第5章、雪岱が所属した「九九九(きゅうきゅうきゅう)会」を紹介する章だ。この「九九九会」は泉鏡花を囲む集いで、会員には雪岱のほか、里見弴、久保田万太郎、洋画家の岡田三郎助、少し遅れて入会した日本画家・鏑木清方などがいた。

雪岱は「九九九会」メンバーである作家たちの装幀も多く手掛けた。
雪岱は「九九九会」メンバーである作家たちの装幀も多く手掛けた。

毎月23日、日本橋の料亭「藤村」で定期的に開催されていたようで、会の名前は会費が9円99銭だったことに由来する。昭和3(1928)年に始まり、鏡花が亡くなる同14(1939)年まで毎月欠かさず開催されたこの会は、里見弴曰く「飲んだり食つたり騒いだりするだけの、洵にのんびりした会合」という様子だった。

芸者たちのために雪岱がデザインした着物などが、下絵とともに展示。
芸者たちのために雪岱がデザインした着物などが、下絵とともに展示。

本章では、この会で知り合った芸妓らのために雪岱がデザインした着物や帯、彼女らをモデルにしたとされる作品などが展示されている。緻密に計算され、程よい緊張感が画面に漂う本職の仕事とは異なり、仲間たちとの心寛ぐ時間の中で生まれた作品からは、雪岱の人間らしい姿が浮かび上がる。

その他にも、知人のために雪岱が描いた日本画の作品も展示され、画家の交友の様子がうかがえる。
その他にも、知人のために雪岱が描いた日本画の作品も展示され、画家の交友の様子がうかがえる。
展示風景
展示風景

昭和14(1939)年、泉鏡花がこの世を去る。雪岱にとって、鏡花は単に装幀を手掛けた作家ではない。生涯の恩人であり憧れの人であり、「私は鏡花門人ですよ、絵筆で鏡花直伝の文章を書くんですよ」と語るほどであった。その運命の人を追うように、その翌年に雪岱も脳溢血で倒れ、数日後に帰らぬ人となった。絶筆は林房雄「西郷隆盛」の第八十六回の挿絵だった。本展ではその「西郷隆盛」の挿絵も含めて、晩年期から没後の雪岱を顕彰する木版画などで締めくくられる。

なお、本展は前期と後期(5/8~6/7)で大幅な作品の入れ替えがある。雪岱の画業の全貌を知る本展、その全貌を堪能するには、2回訪れてほしい。そして、密やかな美を追求した雪岱、その魅力に酔いしれたい。

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千葉市美術館|Chiba City Museum of Art
260-0013 千葉県千葉市中央区中央3-10-8
開館時間:10:00〜18:00(金・土曜日は20:00まで)※入場受付は閉館の30分前まで
会期中休館日:月曜日、5月7日(木) ※5月4日をのぞく

※参考文献:本展図録

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