ART BLOGS

アートブログ

「即翁與衆愛玩」即翁の想いと共に「畠山記念館」の名品を一緒に愛で楽しむ。

特別展「東京・白金台 美の宝庫 畠山記念館の名品─能楽から茶の湯、そして琳派─」展が京都国立博物館で始まりました。

本展の記者発表に参加してブログも書きましたが、今回は記者内覧会に参加してきました。本ブログに掲載の写真は主催者の許可を得て撮影したものです。記者内覧会は時間が限られており、駆け足でザっと会場を回ってきましたが、やはり実際に目にすると確かに「名品」揃い!風格がある品々に背筋が伸びるような思いを持ちました。

 

「畠山記念館」は、昭和39年(1964)、株式会社荏原製作所の創業者である畠山一清(1861-1971)によって東京・白金台に開館しました。「即翁」と号して、能楽と茶の湯を嗜む近代数寄者のお一人でした。そのコレクションは茶道具を中心に日本、朝鮮、中国の古美術品が約1300件に及び、そのうち国宝6件、重要文化財33件を含む選りすぐりの品々228件が前後期に展示されます。(出品一覧・展示替予定表

畠山記念館が平成31年(2019)から大規模施設改築工事のため長期休館に入り、その期間中収蔵品を京都国立博物館で保管することとなりました。そこでこの機会に関西では”初”となる畠山記念館の名品の数々が紹介される展覧会が開催されることとなりました。

畠山記念館の開館は1964年の東京オリンピックの年であり、ちょうど今年もオリンピックが東京で開催され、また即翁没後50年の年となっているのも何かのご縁でしょう。昭和30年代は日本に私立の美術館がたくさん建てられたそうですが、即翁はその機運に乗っただけではないとの気持ちもあって「記念館」と名付けました。畠山記念館は、即翁が存命中に主体的にかかわった美術館で、畠山一清が一代で集めたものを公開している点にも特徴があります。展示室内には、四畳半の茶室「省庵」と茶庭が設けられ、敷地内には5つの茶室が点在し、創設者の想いを伝える「茶の湯の美術館」として知られてきました。


展覧会は6章で構成されています。


第1章 蒐集の始まりと金沢

畠山即翁は、明治14年(1881)石川県金沢市に生まれ、能登畠山氏の後裔であったとはいえ決して豊かではなかったようです。しかし東京帝国大学工科大学を首席で卒業し、挫折も味わいながらも大正9年(1921)に荏原製作所を設立しました。即翁が35歳の大正4年(1915)に古九谷の大鉢を買ったのが蒐集の始まりです。その後の蒐集をみても金沢への想いはあってのことでありますが、大正時代は国内外の古窯跡が相次いで見つかり古九谷や伊万里、鍋島など陶磁器への関心も高かったことに加えて、陶磁器の研究会「彩壺会」の発足メンバーの一人となって、この「彩壺会」で多くの陶磁器を目にする機会があったことも影響しているようです。

即翁が蒐集した美術品は「雅楽帖」という所蔵品目録全5冊に記されており、展示の古九谷3点もそこに掲載されています。


第2章 能楽-美意識の支柱

展示室に入ると目に飛び込む豪華絢爛の能装束にハッと息をのむ。

「道ゆけばあちこちから謡が聞こえ『空から謡が降ってくる』」とも語られる金沢、加賀前田家の城下町で育った即翁さん、ご実家は決して裕福ではなかったようですが、お能が大好きな父君の謡を聴きながら育ち、育った土地柄も、おうちにもお能はとても身近な存在でした。ご自身も謡を習い、舞台で舞い、昭和30年(1955)75歳で金沢が本場であった「宝生流」の免許皆伝を受けるほどでした。能は、江戸時代には「武家の式楽」、武士社会の教養でしたが、明治の世になると演能の機会も減り大名家のコレクションが処分されるようになりました。そこで能を嗜む実業家たちがその支援者となったのです。即翁もそのお一人で、加賀藩に伝来した能面や能装束を積極的に蒐集し、その装束を自らも着て舞ったりしました。この時代に手放された能装束の多くは出所不明なものが多い中、前田家の能装束は、統一した畳紙、裏地に貼り付けられた所蔵番号札、畳紙への書付から伝来や制作年代、入手経路が確認できるそうです。即翁が「能」に親しむことは、その内容を理解して日本文化を知ることとなり、即翁の「美意識」の支柱となったのでした。江戸時代の能装束が大切に守られ本当に美しい。茶会で能も演じられたなら、茶事はまさに総合芸術です。


第3章 名品との出会い

近代数寄者の茶の湯は「道具茶」と揶揄されることもありますが、財界人として超多忙な日々を送りながらも、茶の湯を習い、謡を習い、自筆で記録を残し、手紙を送り、茶会を披く。経済的な背景はもちろんですが、日本の貴重な美術品が海外へ流出するのを防ぎ、文化人としての教養や日本文化への知識と理解も身に備わったお歴々ではなかったでしょうか。

茶道具は誰の手を渡ってきたものか、つまりその姿形だけでなく、来歴が物語るものも大いに関係しているようです。茶道具がそれぞれに物語を背負って今に至っています。

数寄者として即翁は大名風の茶を目指し、足利家や徳川家などの将軍家や信長、秀吉などの天下人と呼ばれる戦国武将や大名茶人松平不昧が所持した井戸茶碗や唐物茶入、絵画や墨蹟など名品の数々を蒐集し、それらは近代数寄者をも魅了しました。そうした蒐集の中で即翁自身の好みや審美眼が更に磨かれて大胆な筆致の「離洛帖」や「割高台茶碗」や「志野水指 銘 古岸」など大胆で破格の造形のものを好んで求めました。「濃茶」の茶道具を中心に集められ、茶席では最高位として尊ばれる「墨蹟」を多く集めそれに合わせてほかの茶道具も取りそろえました。分割の憂き目にあった近代数寄者垂涎の「佐竹本三十六歌仙絵」、その「源重之」は手に入れたものの手放しており、即翁の思い描く茶会には不向きだったのでしょう。

近代数寄者のドンとも言える益田鈍翁(1827-1938)は、後に続く数寄者は誰もが憧れた存在であったと思われますが、即翁も例外ではなく、数寄者、茶人としてだけでなく、企業人の先輩としても影響を受けています。もとは鈍翁の元へもち込まれた茶碗 重要文化財「柿の蔕茶碗 毘沙門堂」、その経緯を知らずにこれを入手した即翁、茶碗披きの会を態々披いて鈍翁を招いており、のちには鈍翁追善茶会でもこの茶碗を用いるなど、即翁の鈍翁への想いも伝わってくる侘びた茶碗です。

即翁が好んだ破格の造形と言えば、重要文化財「伊賀花入 銘 からたち」桃山時代の伊賀の花入は造形が確かに破格ですが、この「からたち」実際に前に立つと思っていたより大きくみえ迫力があります。金沢の諸家に伝わってきたこの花入は、即翁の元へ向かう際名残を惜しむ数寄者が紋付袴で見送り、そのことを知った即翁も紋付袴で出迎えたという代物です。格のある品を尊ぶ即翁さんや当時の金沢が偲ばれる存在感ある花入じっくりご覧ください。

後期には、国宝 牧谿筆「煙寺晩鐘図」が展示されます。室町三代将軍の鑑蔵印があり、その後天下人の手を渡って、近代になって加賀前田家にあったものを即翁がもとめました。

この章では、即翁が「町人風の茶」「侘びの茶」と感じていた同世代の関西の数寄者、野村得庵や親交深かった逸翁美術館の小林逸翁との交流を物語る品々も展示され、興味深く拝見しました。関西はお家元が近くにあり、京都や奈良の文化もあって即翁が自負する関東の「大名風の茶」とは異なるものと映ったのかもしれません。


第4章 琳派

渋い茶道具とは打って変わって華やかな琳派の展示室です。

「琳派」という概念は、明治の末から大正、昭和にかけて発展してきたものです。

即翁は、即翁の上の世代の近代数寄者の一人 原三溪(1868-1939)が蒐集していた琳派作品を三渓の没後その多くを引き受け、さらに琳派を系統的に蒐集することで琳派コレクションを充実させました。光悦、宗達から光琳、乾山さらに抱一、其一・守一までの絵画から、光悦の茶碗、乾山の透鉢、光琳の硯箱などの工芸品まで琳派を網羅する作品群となっています。即翁の琳派蒐集は、近代以降の琳派概念の形成過程と重なりながら発展してきました。


第5章 「與衆愛玩」の想い

即翁所蔵の茶道具の愛蔵印「即翁與衆愛玩」このブログのタイトルにもしました。ここに即翁の想いが詰まっています。「数寄者が蒐集品を独占するのではなく、多くの愛好家とともに楽しもう」という精神を表しています。それは「畠山記念館」の設立へと繋がります。美術館設立に向けてコレクションをさらに充実させるために中国の鑑賞陶磁器などを購入しました。その代表格が、重要文化財「青花龍濤文天球瓶」です。こちらも思ったよりずっと大きくてどっしりと存在感があり、即翁の好みを反映しているのではないでしょうか。


第6章 畠山即翁の茶の湯

即翁は茶の湯を裏千家十四世お家元淡々斎について学びました。お能も茶の湯も先生も超一流です。

40代後半の大正時代末頃から晩年まで、即翁が亭主となってお客様を招いた会を「来客日記」、即翁が客としてお呼ばれした会を「茶会日記」と題して特注の紙を大福帳風に仕立て、巻頭にそこはキッチリと目次を作り自由に記録を残しています。「来客日記」は、大正15年(1926)11月14日から200回あまり、「茶会日記」は昭和6年(1931)6月10日から300回あまり、合わせると500回あまりとなり即翁の茶の湯への傾倒ぶりが伺えます。

500を超える茶会の中でも、昭和26年(1951)1月に披かれた高松宮宜仁親王から賜った庵号「翠庵」の披露と古稀自祝の茶事での名品の取り合わせや、光悦会や大師会の大茶会での道具組を体感すべく、どれもこれもと眼福なお道具が並びます。

移動できない展示ケースかもしれませんが、願わくは、展示場内に茶室をしつらえ茶席飾の完全再現が観たかったです。

・即翁愛蔵の 重要文化財 本阿弥光悦作「赤樂茶碗 銘 雪峯」大きな火割れが金粉繕いされ、口縁から胴にかけてなだれる白い釉が見どころか。

・細川三斎、松平不昧が所持し、「天下の三井戸」の内の一碗 重要文化財「井戸茶碗 銘 細川」 松平不昧の茶道具目録である「雲州蔵帳」にもほかの二碗の井戸茶碗とともに「大名物」に記載され、不昧もこの茶碗を茶会で用いた記録がのこる。

・古くから火襷水指の名品として知られた 重要文化財「備前火襷水指」白く柔らかな土肌にあらわれた火襷が美しい。

他にも見逃せない品々。

重要文化財「唐物肩衝茶入 銘 油屋」不昧が参勤交代時にこの茶入と「圜悟克勤墨蹟」 を笈櫃に納め、道中も不昧の先を行かせるほどに不昧が愛蔵した唐物茶入で、「雲州蔵帳」では「宝物之部」に記載されています。豪華な附属品一揃えと一緒に展示され、大切に今に伝わります。

・三日月形をした砂張製の釣花入「砂張釣花入 銘 針屋舟」天下三舟のひとつ。「松本舟」は泉屋博古館で、「淡路屋舟」は野村美術館でともに京都でお目にかかったことがあり、ようやっと三番目の舟にお目にかかれました。

前期展示 国宝「離洛帖」に代わり、後期は「三色紙」の「継色紙「升色紙」「寸松庵色紙」が揃って展示されます。

 

茶事とは、今日では一般に、茶の湯において食事が出される正式なもてなし全体をさし、炭手前、懐石、濃茶、薄茶で構成されています

即翁は懐石には大変こだわり、献立から器選び、味付けに至るまで自身で目を通して、食するほどの徹底ぶりだったそうです。究極の「おもてなし」です。

これだけのコレクションの形成には、即翁の好みを知り尽くし、即翁が全幅の信頼をおく馴染みの古美術商がお蔵番としてどんなお道具があって、お道具がお蔵のどこにあるか分かって即翁のそばに居てアドバイスをしていたことでしょう。

「即翁與衆愛玩」が形となった畠山記念館の開館は即翁84歳の時です。晩年には時には展示室に出て自ら案内役を買って出られることもあったそうで、流石に茶事に招かれることは難しいですが、即翁から茶道具やそれを使った茶会のお話など直接伺ってみたかったものです。

 

「畠山記念館の名品」がこれほどまとまって観る機会は東京であってもそうそう機会はなかったはず。秋の京都で格のある茶道具を存分に楽しんでほしいと思います。

 

【参考】筒井紘一著『美術商が語る思い出の数寄者』淡交社 平成27年4月4日


【開催概要】特別展 畠山記念館の名品─能楽から茶の湯、そして琳派─

・会期 2021(令和3)年10月9日(土)~12月5日(日)

[主な展示替]前期展示:2021年10月9日(土)~11月7日(日)

後期展示:2021年11月9日(火)~12月5日(日)

・会場:京都国立博物館 平成知新館

・展覧会公式サイト:

※チケットは事前予約<優先制>


プロフィール

morinousagisan
阪神間在住。京都奈良辺りまで平日に出かけています。美術はまるで素人ですが、美術館へ出かけるのが大好きです。出かけた展覧会を出来るだけレポートしたいと思っております。
かつて関西のアートサイトに読者レポートとしてアートブログを掲載して頂いていたご縁で、展覧会担当の広報会社さんから私個人に内覧会や記者発表のご案内を頂戴し、「アートアジェンダアートブログへ投稿」という形を広報会社さんに了解頂いて、アートブログを投稿しています。アートブログは全くの素人の個人としての活動です。
通報する

この記事やコメントに問題点がありましたら、お知らせください。

こちらの機能は、会員登録(無料)後にご利用いただけます。

会員登録はこちらから
SIGN UP
ログインはこちらから
SIGN IN

※あなたの美術館鑑賞をアートアジェンダがサポートいたします。
詳しくはこちら

CLOSE

こちらの機能は、会員登録(無料)後にご利用いただけます。

会員登録はこちらから
SIGN UP
ログインはこちらから
SIGN IN

ログインせずに「いいね(THANKS!)」する場合は こちら

CLOSE
CLOSE
いいね!をクリックしたユーザー 一覧
CLOSE