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「京都国立近代美術館が、洋画家・岸田劉生の作品42点を一括して新収蔵」(記者発表会)

《外套着たる自画像》1912(明治45)年3月27日 油彩・麻布 41.1✖31.8 ここ40年くらいほぼ門外不出となっていた「幻の名作」です。

4月19日に記者発表会が行われ、新収蔵品の一部作品も4階の一角に展示されました。(この日だけの展示となります)その一報はSNSですでにご覧になった方も多いことでしょう。

 

愛娘麗子を描いた数々の「麗子像」や「道路と土手と塀(切通之写生)」(東京国立近代美術館蔵)はあまりにも有名で、岸田劉生(1891-1929)は近代日本美術史に大きな足跡を残した一人です。

 

新収蔵作品は、42点、内訳は購入が29点、寄贈が13点です。これら42点すべてお一人の個人コレクターが所蔵されていたものです。劉生の初期から晩年まで各時期の画風が伺える作品が揃い、劉生の画業の流れを辿ることができます。また、自画像・肖像画・宗教画・風景画・静物画・風俗画(芝居絵)と各領域の作品が含まれ、作品形態も油彩画20点(のうち1点は表裏に作品が描かれているそうです)、水彩・素描12点、日本画8点、版画1点、彫刻1点となっており劉生の創作活動の全体を展望できる充実したコレクションです。この度の収蔵により、京都国立近代美術館の岸田劉生作品は約50点となって、新収蔵品のお披露目も兼ねて、来年2022年1月末から「岸田劉生と森村・松方コレクション」が開催されます。


記者発表で展示された作品からも分かる充実した新収蔵作品

岸田劉生画業の変遷は、住所が変わることに応じて5つの時代に分けられます。



《夕陽》1912(明治45)年1月29日 油彩・麻布 32.0✖41.0

1. 銀座時代 1891(明治24)年~1913年(大正2)年 誕生~22歳

メインヴィジュアル画像の《外套着たる自画像》とともに、ポスト印象派に感化され、ゴッホ風の絵を描こうとした時期の作品で、ゴッホ風の作品は3点とも収蔵されました。太陽の感じがとってもゴッホ風です。


《エターナル・アイドル》1914(大正3)年11月 油彩・板 40.8✖31.8

2. 代々木・駒沢時代 1913(大正2)年~1917(大正6)年 22歳~26歳

初めは牧師を志したほどに熱心なプロテスタントだった劉生は宗教画も描いています。デューラーやファン・エイクなど北方ルネサンスに興味を持ったことは写実を追求することとのほかにも彼がプロテスタントであったことは関係はないのでしょうか。


《麗子裸像》1920(大正9)年8月31日 水彩・紙 50.5✖33.6 中世の聖徳太子二歳立像に着想を得たと伝えられ、西洋から東洋への関心の移行を表している。

3. 鵠沼時代 1917(大正6)年~1923(大正12)年 26歳~32歳

劉生の絵画制作が最も盛んな時代で、愛娘麗子をモデルにした麗子像の名作がこの時代に制作されました。


《舞妓図(舞妓里代之像)》1926(大正15)年1月28日 油彩・板 27.0✖21.7 京都へ来たら祇園で遊んで舞妓さんも描きたい。「デロリ」の美学を象徴する京都時代の名作。

4. 京都時代 1923(大正12)年~1926(大正15)年 32歳~35歳

関東大震災後、京都の南禅寺草川町へ転居しました。京都の転居先は京都国立近代美術館のすぐお近くでなにかご縁もありそうです。京都での劉生は、古画の蒐集に借財し、祇園のお茶屋遊びにものめりこみの「一大放蕩児」だったそうです。



《大連星ヶ浦風景》1929(昭和4)年11月 油彩・画布 60.0✖74.0

5. 鎌倉時代 1926(大正15)年~1929(昭和4)年 35歳~38歳

旧知の松方三郎の助力を得て中国大連に滞在中に描いた風景画です。

新収蔵には大連から急遽帰国して滞在していた山口県徳山での絶筆も含まれています。


《自画像》1928(昭和3)年8月 鉛筆・水彩・紙 50.2✖34.0 鎌倉時代、晩年の自画像の傑作

気になるのはそのコレクターさんとお値段でしょうか。記者さんからの質問はそこに集中していました。購入金額は官報にも掲載されますので、29点12億です。油彩画はすべて購入となりました。しかし寄贈された作品も13点あることもお忘れなく。劉生作品の一般相場よりはお安いらしい。コレクターさんも私財を投じてコレクションを形成されたのです。


《壺》1917(大正6)年4月10日 油彩・麻布 40.9✖31.7 鵠沼時代の作品。静謐な画面に「実在の力」「存在の神秘」を表す。壺を主題とした作品の三作目。

それでは何故これほどまとまったコレクションをお一人の個人コレクターが所蔵されていたのでしょう。

新収蔵品の大半が、かつては森村義行(1896-1970)と松方三郎(1899-1973)の所蔵品として画集などにも掲載されていました。それ故に来年開催される展覧会のタイトルにも「森村・松方」が入っています。森村、松方のお二人は、実の兄弟で、父は松方正義(1835-1924)、松方幸次郎(1865-1950)は年の離れた兄です。弟三郎は生前から劉生を支援し、劉生が早逝すると、二人で作品を蒐集し、遺作展の開催を支援しました。しかし、お二人が70年代初めに亡くなると、コレクションの散逸が始まりました。

70年代から80年代にかけてはコレクターの代替わりの時代だったそうで、展覧会でもお目にかかれなくなった劉生の作品も少なくない。一人のコレクターが、劉生作品の散逸に心を痛めて収集を始め、再びまとまったコレクションとなりました。

このコレクターさんは東日本にお住まいの方らしく、昨今は大きな災害のも多く、一括して公の機関へ収めたいとのご意向もあって京国近美への収蔵となりました。


《壜と林檎と茶碗》1917(大正6)年6月22日 油彩・麻布 34.3✖34.3 鵠沼時代の作品で、劉生の静物画においてモチーフの種類や数が多彩となる新展開の始まり

劉生については、質問したい点も多々ありましたが、今回は新収蔵お知らせの記者発表でしたので、来年1月の展覧会まで持ち越したいと思います。我が家で1979年京都国立近代美術館で開催された「没後50年記念 岸田劉生展」の図録を発掘しました。今回収蔵された作品も掲載されていますが、時代的に大半がモノクロ写真です。まずは、この図録を読んでみましょう。






プロフィール

morinousagisan
阪神間在住。京都奈良辺りまで平日に出かけています。美術はまるで素人ですが、美術館へ出かけるのが大好きです。出かけた展覧会を出来るだけレポートしたいと思っております。
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